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「文化時報」コラム

⑬「証拠捏造」から一転…姉と弟(上)

2022年12月7日

※文化時報2022年2月18日号の掲載記事です。

 2月9日、浜松駅に程近い賃貸ビルの3階に住むこのビルのオーナーが、89歳の誕生日を迎えた。全国からたくさんのお祝いの花とメッセージが届けられた中に、「秀子おめでとう 袴田巖」とぶっきらぼうに書かれたのし袋があった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 オーナーの名前は袴田ひで子さん。今から半世紀以上前の1968(昭和43)年に無実の罪で死刑を宣告された袴田巖さん(85)のお姉さんである。

 再審や冤罪(えんざい)についてよく知らなくても、「袴田事件」は聞いたことがある、という人は多いのではないだろうか。元プロボクサーの巖さんが、当時勤務していたみそ醸造会社の専務一家4人を殺害して放火したとして、死刑判決が確定した事件である。

 巖さんは連日長時間にわたる厳しい取り調べ(トイレにも行かせず取調室に便器を持ち込んで用便させていたことが、開示された録音テープで明らかとなっている)に耐えかねて犯行を自白したが、その後否認に転じた。その自白では、犯行時に着ていたのはパジャマだったのに、裁判の途中、事件後1年以上も経ってから、くだんの会社のみそ樽(だる)から血の付いた5点の衣類が発見され、確定判決ではそれが犯行着衣であると認定された。 

2014(平成26)年3月、袴田事件の第2次再審請求を審理していた静岡地裁は、5点の衣類が捜査機関によって捏造(ねつぞう)された可能性を指摘し、再審開始を認めるとともに、巖さんの死刑の執行を停止した。さらに、身柄を拘束し続けること(拘置)についても「耐えがたいほど正義に反する」として、巖さんを釈放した。

 しかし、静岡地裁の再審開始決定に対し、検察官が不服を申し立て(即時抗告)、即時抗告審の東京高裁は18年6月、4年3カ月もの審理の末に再審開始を取り消してしまった。

 袴田さんは再収監こそ免れたものの、再び死刑囚の汚名を着せられることになった。そして20年12月、最高裁は、今度は再審開始を取り消した東京高裁の決定を破棄し、高裁で審理をやり直すよう決定した。かくして、袴田事件の再審は、今なお東京高裁で審理が続いている。

 再審の闘いが、開始→取り消し→取り消しの取り消し、と二転三転する間、巖さんはひで子さんの住む浜松のビルで生活を共にしてきた。その期間は間もなく8年になろうとしている。姉と弟は、事件からの半世紀を、そして再審開始決定からの8年間をどのように過ごしてきたのだろうか。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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