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「文化時報」コラム

㉒「伝え手」たち

2023年3月1日

※文化時報2022年7月1日号の掲載記事です。

 6月22日午前10時過ぎ。鹿児島地方裁判所の門前に詰めかけたおびただしい数の支援者とマスコミの前に「不当決定」の旗が掲げられた。その瞬間、人の輪の中から「ふざけるな!」「(裁判所の)看板下ろせ!」と怒りの声が轟いた。このことは、その日の某紙の夕刊に「支援者から怒号が上がった」と報じられたが、実は怒号の主は「支援者」ではなかった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 95歳の原口アヤ子さんが事件から43年間無実を訴え、裁判のやり直しを求めている「大崎事件」。この事件では、第3次再審で、地裁、高裁が重ねた再審開始決定を、3年前の6月に最高裁が取り消した。再審無罪のゴール目前だったアヤ子さんと弁護団は、「振り出し」に引き戻され、改めて鹿児島地裁に4回目の再審請求を行っていた。

 弁護団は、最高裁が突き付けた疑問を解消する強力な新証拠を携えて今回の再審を闘ってきた。審理の経過は地元紙、九州ブロック紙、地元テレビ局によってその都度詳細に報じられてきた。

 一方、全国のメディアも、再審法の不備に翻弄され続けた大崎事件を、法改正の必要性を体現する事件として、特集やインタビュー記事などさまざまな形で報じるようになった。私が関西に拠点を移してからは、関西のメディアにも大崎事件をたびたび紹介いただいた。

 日本の南の端っこで起きた大崎事件が、これほどまでに知られるようになったのは、「取材する側」であるジャーナリスト(伝え手)たちと「取材される側」である私たちとが、立場の違いを超えて、アヤ子さんの人生被害や再審制度の理不尽を世に知らせなければ、という共通の使命感に突き動かされてきたからである。

 私たちは正確に報じてもらうために何度も記者レクを行い、「伝え手」たちは、より一般市民に伝わりやすいアイデアを提案してくれた。氏名や顔写真を出すか否かの方針を巡って激論を交わしたこともあった。

 冒頭の怒号を発したのは、先の最高裁決定の仕打ちに心底憤り、自らの足で事件当時の捜査官や関係者を取材し、事件の真相に迫る連載記事を世に問い続けたブロック紙の編集委員だった。翌日の朝刊1面の中央には「真実から目を背け、誤りを正すことに背を向けた判断でなかったと言い切れるのか。刑事裁判を信頼していいのか」と問いかける彼の署名記事があった。

 「伝え手」たちの熱いメッセージが「受け手」の共感として広がったとき、大崎事件は解決し、再審制度も変わる。その日まで「伝え手」たちと共に闘い続ける。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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