2023年3月10日 | 2024年8月5日更新
※文化時報2022年8月26日号の掲載記事です。
先日、実に久方ぶりに、母と一緒に旅をしてきました。数年前に亡くなった父が出かけたがりだったおかげで、私が小さい頃はずいぶんとあっちこっちに連れて行ってもらったものでしたが。何年ぶりだったでしょうか。朝目が覚めてから、一日中母といたのは。そして、隣で寝て、目が覚めたらまた隣に母がいたのは。
いやあ85歳、実に健脚、健啖(けんたん)で、ちゃっちゃと歩く後ろ姿を見ながら、私があの年になったらああはいかないぞ…と、舌を巻くばかりでした。同時に、これなら、あと10年は大丈夫だなと、安心もしたのです。
あと10年。
1日に3度の食事をいただきますから、ひと月で約90回。1年で1095回。10年で、1万950回。でも、ここ数年は忙しさにかまけて、母と一緒に食事をすることが、月に1度あったかどうか。月に1度一緒に食事をするとして、1年で12回、10年で120回…あとたったの120回!医療従事者の端くれとしては、最後の最後まで食事が取れるわけではないと知っているので、そこのところを差し引くと、100回を切ってしまう!?
幼い頃から独立するまで、何万回と母に食事を作ってもらって一緒に食べ、家を出た後はこれまた何万回とそれぞれがそれぞれの場所でいただき、そして、これから一緒に食べられるのは、100回以下…。サラサラと流れる砂時計の砂の粒は、いつの間にか、あとほんのひとすくいになっていました。
悲しさ、寂しさがぐわあっと巻き上がってきましたが、それはそれ。この世の中に、同じカタチであり続けるものは何一つない。全てが、とどまることなく流れ続けていくものなのですから、砂時計も止めることはできません。
あ、そっか。そっちが止まらないなら、私が変わればいいのだ!忙しいとか言っていないで、これからは月に2回は母と食事をしよう。そうすれば、残り200回。いやいや、週1回にすれば残り400回…。
「何をぼーっとしているの。さっさと食べちゃいなさい」。母、健在。