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「文化時報」コラム

〈30〉満月に重ねて

2023年4月14日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2022年11月4日号の掲載記事です。

 先日、夜空に、それはそれは美しい満月がぽっかりと浮かんでおりました。月を見ると昔から、なんだか胸の奥が「きゅうっ」といたします。ひどく懐かしいような、悲しいような、言葉にしようのない思いが湧いてきて、目が離せなくなります。ワタシ、モシカシタラカグヤヒメダッタノカモシレナイ…なんてね。大変失礼いたしました。大き過ぎて竹の中に入りきれません。

傾聴ーいのちの叫び

 閑話休題。

 月の満ち欠けと、人間の一生を重ねて見てもきました。糸のように薄い繊月(せんげつ)で生まれて、だんだんと大きくなって、満月になって死んでいく…と。

 でも、先日の満月を見た時、「あ、そうではなかった」と分かりました。宿って新月、生きて半月、死に切って満月、それで一巡りなのだと。

 人間、生きてやっと半分なのです。死んだら終わりではなく、その後にさらにもう半分、役割が残っています。

 私ごとで恐縮ですが、2年前に亡くなった父は、いまだに私を教え諭してくれています。むしろ、実存していた時よりも、その教えは崇高に研ぎ澄まされているような気さえします。つまり、現世に生きて半分、人の心中に生きて半分。それで、「一生」というわけです。

 よく「死んだ人の分まで頑張って生きる」などと言いますが、なるほど、こういうことだったのですね。そうです。死んだ人の分まで頑張って生きている人が生きている限り、死んだ人もその人の心の中に生きて「一生」の後半を過ごしている。だから、遺された人はきちんと生きて、逝った人が存在していたことを証明し続けなければいけないというわけです。少々複雑ですが、お分かりいただけましたでしょうか。

 いやあ、また賢くなってしまったようです。どうしてそんな素晴らしいことが分かってしまうのかですって?そりゃもう、かつて住んでいた月にいるウサギさんが、お手紙で教えてくれるからです。

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