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「文化時報」コラム

㊴「袴田事件」に寄せて

2023年7月14日

※文化時報2023年3月31日号の掲載記事です。

 57年。

傾聴ーいのちの叫び

 私がこの世に生を受け、数年後に弟が生まれた。駅前の商店街に屋根がついて、大きなバスロータリーができた。実家は縁側のあった昭和初期の家屋から、2階建ての味気ない建物にリフォーム。父は車を5回買い替え、母は3回海外旅行。私も弟も結婚し、子どもが生まれ、その子が今や1人は大学生、1人はパパ。父は天の川を渡って鬼籍に入り、母はつえを使うようになり、もうじき私は、赤いちゃんちゃんこを着る栄誉を得る―。

 袴田巌さんが逮捕されてからの、この長い時間。「やっていない」と言っているのに、「やった」と言われ続けた。いったいどんな気持ちだっただろうなどと想像することすら不敬に当たる気がして、ただただ絶句するしかありません。

 同時に、「やっていない」という言葉を信じ、戦い続けてきたご家族、支援者の方々の「時間」にも思いをはせます。さらさらと落ちる砂時計の砂はすくい戻せないのが承知の事実である中で、その1粒1粒を、懸命に投げ続けてきた。巨大な高層ビルを砂粒で壊そうとする、そんな絵が頭に浮かびます。

 私は、この事件を知ってはいながら、巨大な高層ビルの住人となるわけでもなく、かといって、砂粒を投げる側につくわけでもなく、知らん顔をして、同じ時間、そこそこに楽しみつつ、可もなく不可もなく過ごしてきました。

 だから、いよいよ砂粒が巨大な高層ビルを倒した今、それに便乗して自分の来し方を反省したり、行く末の教訓にしたりするようなずうずうしいことはいたしません。いたしませんが、姉の秀子さんと抱き合う赤いベレー帽の方を見て涙したことは、お許しいただけたらと思います。

 人が抱く信念の底知れない強さ。時が刻む事象の揺るぎない真実。真理を追い求め続ける覚悟。その尊さの前に知らず知らずのうちにひざまずき、手を合わせ、首を垂れる。ああ、これが、信仰の根っこなのかもしれません。

 現代に降臨する神々に、画面越しにではありますが、お目にかからせていただきました。

 

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