2023年9月4日 | 2024年8月5日更新
※文化時報2023年6月16日号の掲載記事です。
いつものように近所のスーパーに買い物に行ってまいりました。
それにしても、じわじわとモノの値段が上がっていますね! 卵1パックがこんなお値段になるとは、思ってもいませんでした。「いったいこれからどうなっていくことか…」と思いつつ店内をウロウロしていると、ふと、一人のご婦人のお姿に目がとまりました。
こんもりと盛り上げられた、新鮮でみずみずしいブロッコリーの山の前で、熱心に物色なさっています。一つを手に取って眺めては戻し、すぐ、次のものを手に取る。ご婦人の優れた識別眼にかなわないブロッコリーが、どんどんと脇へよけられていきます。これというものが見つからないのか、いよいよブロッコリーの山をほじくり返しはじめました。あら、あら、あら、まあ、まあ、まあ。
まるで嵐のような数分が過ぎ去った後の、ブロッコリーの山。美しく緑色に輝いて、価格もお手頃です。家族も大好きな野菜ですから、いつもだったらさっそくわが家の食卓にお招きするはずなのですが…。何だか今日は手に取る気になれませんでした。
愚かな私の中に、目の前にあるブロッコリーを「選ばれなかった残り物」と、差別してしまう気持ちが生まれてしまったからです。
あ~あ。これでは、先ほどの『選別婦人』と同じ穴のムジナではありませんか。お金を払うなら「他人よりちょっとでも良いものを手に入れたい」だなんて。世の中に、初めから「良いもの」や「悪いもの」が存在しているわけではありません。そのものをどう捉えるかという、私の「視点」があるだけです。
つまり、この世のどこかに「最高のブロッコリーがある」わけではなく、誰にとっても「全てのブロッコリーが最高のものになり得る」ということですね。
「残り物」だなんて思ってしまって、今日はブロッコリーさんたちに大変な失礼をしてしまいました。己の愚かさを深く反省し、夜のお勤めは長めにしました。