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「文化時報」コラム

〈51〉葬儀は宗教儀式

2023年10月10日

※文化時報2023年2月28日号の掲載記事です。

 「ひどいお葬式だった」と近隣のケアマネジャーがやってきて憤慨していた。聞けば、利用者が亡くなり家族がインターネットで検索した格安の葬儀プランを利用したそうだ。それがプラン通りの金額では収まらず、仏具なども粗末な物だったと。死別の悲しさの上に、葬儀に対する悔しい思いも乗ったようだ。

 

 こうなると「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、葬儀社から紹介された僧侶までがひどかったと言う。戒名を授けるのも全てオプションで「あんなのは袈裟をつけただけのぼったくり野郎だ」とこき下ろす。

 一方的な言い分だけを聞いているので、本当のところは分からない。もしかすると僧侶も葬儀社から言われた通りに動いているだけなのかもしれない。葬儀社にも言い分はあるだろう。

 それでも筆者は、インターネットやテレビコマーシャルで「安さ」を売りにしている葬儀社には依頼しない方がいいと伝えている。なぜなら、プラン通りの金額で済まず後味の悪いことになるからだ。葬儀はやり直しができない。ひどいことになると心に傷を負ってしまう。

 ただし、葬儀を出す方も勉強は必要だ。葬儀を「消費行動」と考えるのはやめた方がいい。葬儀は、近隣や知人の力を借りて亡き人をお見送りする儀式である。必要な道具をレンタルすることはあるが、葬儀そのものを「購入」する意識ではだめだろう。

 世の中には金で買えないものがある。それは「気持ち」である。葬儀社も悪いところはあるのかもしれないが、よく考えないで「金で済まそう」とした方にも責任があるように思う。

 葬儀は宗教儀式であり、金で買えるようなものではない。普段の信仰の上に成り立っている。きちんとした宗教者とつながっていれば、冒頭のご家族のようなことにはならないだろう。 宗教者はそれを広く伝える使命を持っているのではないだろうか? 葬儀が終わってから「ぼったくりだ」と嘆く人が一人でも減るように、福祉仏教を提唱している。

 

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