検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 『文化時報』コラム > 傾聴―いのちの叫び― > 〈52〉勝手な想像

読む

「文化時報」コラム

〈52〉勝手な想像

2023年12月10日

※文化時報2023年10月20日号の掲載記事です。

 小学生の頃、国語の時間は不思議でたまりませんでした。「主人公のカメさんは、どんな気持ちでしょう」「この女の子は、なんでこんなことを言ったのでしょう」。そんな問題を出されるたびに「なんでこの物語を書いた人に聞かないんだろう?」って思ったからです。

傾聴ーいのちの叫び

 物語は、所詮(しょせん)、人が書いたもの。突然天から降ってきたわけではありません。つまり、カメさんがどんな気持ちなのか、その女の子がなんでそんなことを言ったのか、その答えは物語を書いた人の頭の中にすでにあるはずだろうに。しかも、その作者の頭の容量を超えることはないだろうに。それなのに読み手があれこれと勝手に想像することの意味が分からず、不思議でたまらなかったのです。

 今思えば、こまっしゃくれた嫌な子どもだったなと笑えてきます。でも、同時に、そのシンプル過ぎる感覚を大事にしたいとも思うのです。

 人と人とのコミュニケーションの中で、私たちはどれだけ自分勝手に推察し、本人に確認も取っていないのにそうだと決めつけ、事をこじらせていることでしょう。

 「挨拶も返してくれないなんて。私のこと良く思っていないんだわ」。いえいえ、メガネと補聴器を着け忘れていただけみたいですよ。

 「私が行ったら急に帰っちゃったのよ。嫌な人!」。いえいえ、朝一気飲みした牛乳のせいでおなかが緊急事態だったんですって。

 ちゃんと相手に確認すればなんてことないことなのに、勝手に考えを巡らせ、こじらせる。この悪しき習慣は、カメさんの気持ちをあれこれ想像させられ過ぎたせいなのかもしれませんね。

 分からないことは、聴くのです。

 そもそも、その人が今、何を感じているのか、何を思っているのかなんて、いくら考えても分かるわけがありません。だから、聴くのです。その人の言葉を、ただひたすら黙って聴くのです。おかしな解釈をせずに。よけいな想像をせずに。いらない評価をせずに。ただ、聴くのです。

おすすめ記事

同じカテゴリの最新記事

error: コンテンツは保護されています