2024年2月19日 | 2024年8月5日更新
※文化時報2024年1月19日号の掲載記事です。
先日、仕事でお伺いしたある街で、こんな話をお聞きしました。
新幹線が止まる駅前は、にぎやかに栄えています。その光景を眺めながら、地元の方が話してくださいました。「この駅をここにもってくるのは、本当に大変だったんですよ」
新幹線をわが街に!という地域の発展を懸けた一大事業は、当時、あちこちで展開されていたそうです。その街でも、市長さんを筆頭に市民が一丸となって、駅の誘致を目指していました。
ところが、出しても、出しても突き返されてくる陳情書の数が3桁になろうとするころには「やるだけ無駄」という諦めの機運が広がり、ひとり、またひとりと、背を向けて離れていったそうです。
それでも日参を続ける市長さんに、ついに部下がこう進言しました。「もう諦めましょう。街の人の心は離れました。私の心も折れました。私たちに活路はありません」
市長さんは、真っすぐに遠くを見つめたまま静かにこう言ったそうです。「君は、今、どこを見ている? 私は、北極星を見て歩いているよ」
人生には、さまざまな出来事があります。想像をはるかに超える出来事に遭遇することもあるでしょう。そんな時は、前を向きたくたって、上を向きたくたって、到底無理な話です。北極星なんか見上げる気力は微塵(みじん)もなく、がっくり肩を落として、ただただ地べたを見つめるだけでしょう。
でも、そんな時でも、「自分がどっちを向いているのか」、それだけはしっかり分かっていたいと思うのです。なぜって、自分がどっちを向いているのか分かっていないと、この足は次の一歩を踏み出すことができないからです。体も心も、全てが止まってしまうからです。
どんなに遠い北極星であったとしても、ロックオンしていさえすれば、そこに向かって踏み出すことができそうです。小さい一歩でもいいから、すり足でもいいから。
さあ、あなたさまは今、どちらを向いていらっしゃいますか。