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「文化時報」コラム

〈56〉北極星を見ているか

2024年2月19日

※文化時報2024年1月19日号の掲載記事です。

 先日、仕事でお伺いしたある街で、こんな話をお聞きしました。

 新幹線が止まる駅前は、にぎやかに栄えています。その光景を眺めながら、地元の方が話してくださいました。「この駅をここにもってくるのは、本当に大変だったんですよ」

傾聴ーいのちの叫び

 新幹線をわが街に!という地域の発展を懸けた一大事業は、当時、あちこちで展開されていたそうです。その街でも、市長さんを筆頭に市民が一丸となって、駅の誘致を目指していました。

 ところが、出しても、出しても突き返されてくる陳情書の数が3桁になろうとするころには「やるだけ無駄」という諦めの機運が広がり、ひとり、またひとりと、背を向けて離れていったそうです。

 それでも日参を続ける市長さんに、ついに部下がこう進言しました。「もう諦めましょう。街の人の心は離れました。私の心も折れました。私たちに活路はありません」

 市長さんは、真っすぐに遠くを見つめたまま静かにこう言ったそうです。「君は、今、どこを見ている? 私は、北極星を見て歩いているよ」

 人生には、さまざまな出来事があります。想像をはるかに超える出来事に遭遇することもあるでしょう。そんな時は、前を向きたくたって、上を向きたくたって、到底無理な話です。北極星なんか見上げる気力は微塵(みじん)もなく、がっくり肩を落として、ただただ地べたを見つめるだけでしょう。

 でも、そんな時でも、「自分がどっちを向いているのか」、それだけはしっかり分かっていたいと思うのです。なぜって、自分がどっちを向いているのか分かっていないと、この足は次の一歩を踏み出すことができないからです。体も心も、全てが止まってしまうからです。
  
 どんなに遠い北極星であったとしても、ロックオンしていさえすれば、そこに向かって踏み出すことができそうです。小さい一歩でもいいから、すり足でもいいから。

 さあ、あなたさまは今、どちらを向いていらっしゃいますか。

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