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「文化時報」コラム

〈57〉「素食」のこと

2024年3月10日

※文化時報2024年2月2日の掲載記事です。

 先日、台湾で開催された「第3回スピリチュアルケア国際検討会~医療ケアの中のスピリチュアルと宗教~」で論文が採択されたので、発表しに行ってきました。拙い中国語で頑張る姿にお情けを頂戴したのか佳作に当選し、クマのぬいぐるみと賞金をいただきました。

傾聴ーいのちの叫び

 それはさておき。

 台湾では「素食」の店がいたるところにあります。素食とは、菜食のこと。その数、日本のラーメン屋さんに匹敵します。そして、常にたくさんのお客さんでにぎわっています。なぜ、台湾には「素食」を食べる人が多いのでしょうか?

 その理由は、願掛けだそうです。台湾には、これまたたくさんの廟や宮や寺があります。老若男女を問わず一日中、熱心に参拝する人が後を絶たないのですが、そこで「月に2日、素食にしますから病気を治してください」「もし願いがかなったら週に3日素食にします」といった具合に願掛けするというわけ。台湾の友人曰(いわ)く「欧米のベジタリアンは環境由来が多いようだけど、台湾の素食は信仰由来なんですよ」。

 もちろん、僧侶は絶対的に素食です。台湾の出家者は結婚もせず、肉も食らわず、酒も飲まず、厳密に戒を守っています。なので、当然、私もそうだと思われています。

 お店でも、機内食でも、黙っていても素食を出されます。肉の入った料理を注文したら店主から「法師様、これは肉ですからあなたは食べられません」と善意でメニュー変更されたことすらあります。そうなると、さすがに肉を食らうことははばかられ、台湾にいる間は素食を通しています。「いえ、私は肉を食べるんです」なんて、生臭坊主であることを自ら白状するような行動は、恥ずかしくてできないのです。

 もちろん、信仰のスタイルは、人それぞれでいいと思っています。なにも素食だけが、信仰の表現形であるはずもありません。でも、いつも台湾に行くたびに、己の俗っぽさを痛感させられ、自己嫌悪の深いため息が出るのです。

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