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「文化時報」コラム

〈60〉刃となった言葉

2024年5月22日

※文化時報2024年3月15日号の掲載記事です。

 あと数カ月でこの世を去ることが決まっている方々のお話をお聴きする日々ですが、このところ立て続けに、こんな言葉を伺いました。

傾聴ーいのちの叫び

 「もう、エネルギーがありませんから。元気な人にエネルギーをぶつけられると、やられちゃうんです。受け止め切れない。あちらは良かれと思ってあれこれ言ってくれるのでしょうが、もう、それが苦しい。自分も元気なときだったらありがたかったのでしょうけど、こうやって死んでゆく身になってみると、しんどいだけなんですよ」

 「残された時間を少しでも楽しく過ごして、って言ってくれるんですけどね。そう思える人もいるのかもしれないけど、私はね、楽しくなんて過ごせないですよ。気持ちが乱れないように、抑え付けておくことで精いっぱいなんです。だから、そういうことを聞きたくないから、一人でいるのがいいですよ」

 お二方とも、明かりを落とした部屋のベッドで、いつも一人静かに休まれています。テレビをご覧になるわけでもなし、ラジオをお聞きになるわけでもなし。しんと静まり返った様子に胸を痛めたご家族や看護師たちが、少しでも明るい気分で過ごしていただきたいと、あれやこれやと働きかけていたさなかのことでした。

 「テラスに出て外の空気を吸ってみませんか」「大好きだったようかん持ってきたから一口でも食べて」「孫の写真をここに飾っておくね」。逝く人を大切に思うからこそのこれらが、まさか刃(やいば)になっていようとは、私もなかなかに気付けないでおりました。

 浄土宗三祖、良忠上人(1199~1287)の記した『看病用心鈔』の中に、「病人の寝所はふだんの居間とは別の場所」に設け、「目につきやすく、心が乱されるようなもの」は決して置いてはならず、「酒類・肉類・香辛料」を食べた人を病人のそばに近寄せてはならないと書いてあります。これらを守らなければ、病人に悪鬼が乱入して、三悪道に落ちてしまうと。

 今になってやっとこれらの言葉が真実を説いていると、実感として分かってきたような気がします。

 自分が死ぬときにならねば分かる由もない死にゆく人の気持ちに、ただただ、思いをはせることしかできない真夜中でした。

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