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「文化時報」コラム

〈61〉本当の「多様性」とは

2024年6月15日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2024年4月5日号の掲載記事です。

 実は、アルファベットの羅列を解釈、理解するのが不得手で、困っています。特に、LGBTQとSDGsはマークの色味も似ていて、区別がつきづらかった。すみません。不勉強極まりないありさまで、まったくもって申し訳ございません。

傾聴ーいのちの叫び

 さて、そのLGBTQです。男と女の区別だけでなく、幅広いセクシュアリティを認めましょうという動きですね。身体のカタチと心の認識が異なっているのもOK。恋愛のお相手として選ぶ相手の性別も、オールフリーと。うん、これはこれで、生きる幅が広がってよいのではないでしょうか。

 このあいだ、ある紙面の人生相談で、この件が取り上げられているのを拝見しました。

 自分の好みを公にすることを、「カミングアウト」と言うのはご存じの通りですが、そこには「カミングアウトをどう受け止めたらよいか」「カミングアウトしやすい社会をつくるには」「カミングアウトした人が生きやすい世の中にするには」などと、たいそう小難しい言葉がずらりと並んでいました。

 でも、でもですよ、そもそも、「カミングアウト」にこだわり大騒ぎする時点で、「普通はこうなんだよ」の枠組みありきになってしまうのになあと思うのです。

 なんでもありで、自由なのでしょう? 十人十色さまざまある中で、自分の好みをオープンにしたい人や、する必要がある人は言えばいいし、言いたくない人や言う必要のない人は黙っていればいい。

 もちろん、打ち明けられた側は真摯(しんし)に「受け止めて」、相手が困っていらっしゃれば手助けするのは当然ですが、「受け入れる」ことが絶対、というわけでもないのではないかしら。

 本当の「多様性」というのは、誰も特別に攻撃されないし、誰も特別に護(まも)られたりしない。そんな感じなんじゃないかと思うのです。

 もっともっと、なんでもないことになればいいのにねえ。「私、実はニンジンよりジャガイモが好きなんです」「あっそ」ってなくらいに。

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