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「文化時報」コラム

〈66〉貧弱な想像力

2024年9月23日 | 2024年9月24日更新

※文化時報2024年7月5日号の掲載記事です。

 先日、前途洋々、気力満ち満ちた若い僧侶と話す機会に恵まれました。

傾聴ーいのちの叫び

 「葬儀が終わった後、亡くなった子のお母さんが〝ありがとうございました。良いお話を聞けて、楽になりました。これで少し前を向いていけそうです〟とおっしゃってくださったんです。仏教の教えの力というか、法要の大事さというか、そんなことを実感しました。重ねて、僧侶としての自分にできることが分かった、そんなご葬儀でした」

 ああ、使命に燃え光り輝く瞳よ。目に見えているものの向こう側を、想像してみたことはあるだろうか。

 葬儀の時間は、1日のうちのわずか1時間。残りの23時間、母親は何をどう思いながら、時間をやり過ごしているのだろうかと。小さな命を流さぬように腹に護(まも)って十月十日。死ぬほどの思いで産み出して、ほっとしたのもつかの間、ちょっと目を離せばすぐ死んでしまうようなか弱い命を、来る日も来る日も身を費やして世話してやっと2歳。

 片言もしゃべったろう。一丁前に意思表示もしただろう。あの小さな手足。すべすべぷくぷくした柔らかい肌。キラキラ輝く目。それを失った母親の残りの23時間を思うと、私は口を閉ざして頭を垂れるしかない。

 若き瞳よ、貧弱なイマジネーションがじわりじわりと人を死に追いやってしまうことを、お互い心しておきましょう。

 そして、私も想像します。仏の前に座して考え探求し続けている、私と会っていないときの若き僧侶の真摯(しんし)な姿を。

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