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「文化時報」コラム

〈67〉「陰」を忘れない

2024年10月9日

※文化時報2024年7月19日号の掲載記事です。

 物事には、必ず「陰陽」があります。太陽と月のように。昼と夜のように。火と水のように。とにかく、この世にある全てのものには「陰陽」があり、「陰陽」は同時に存在するものだと感じています。もちろん、人の心においてもしかり。称賛と嫉妬。敬愛と侮蔑。求愛と拒絶。いやはや、なんとも…。

傾聴ーいのちの叫び

 たとえば、ある方が大病をされた、もしくは、大きな事故に遭われた。一時は「もはやこれまで」と危ぶまれるような状況だったものの、九死に一生を得た、としましょう。

 今、目の前で元気に笑うその人を見て、ほとんどの人がこう言うはずなのです。「本当によかった。命が助かって!」「命あっての物種。本当によかった!」。そして、それに応えてご本人も言うのです。「全くその通りです。ありがたい。生かされた命、大事に生きていきます」。素晴らしいお話。一点の曇りもないような、いい話。

 でも、必ず物事には「陰陽」があります。その「陰」は、おおむね本人にしか見えない。「でもね、私は体の一部を失ってしまったのです」「体には大きな傷痕が残って、調子も前と同じではないんです」「もう、以前の私ではなくなってしまったんです。もう、取り戻すことはできないのです」

 でも、こんなことを口にしたら「命が助かったのに…」「死んでしまった人だっているのに…」と言われてしまうのではないか。助かったことをこんなに喜んでくれているのに、後ろ向きなことを言ったらがっかりさせてしまうのでないか。それを恐れて、口を閉ざす。言うに言えない思いは心の奥底に、澱(おり)のようにたまっていくのです。

 世間の人が見ようとしない、見ることを好まない、この「陰」の部分。スピリチュアルケアは、その「陰」の存在を忘れません。どんなときでも、その「陰」があるであろうことをイマジネーションする。それがスピリチュアルケアの第一歩だと思っています。

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