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「文化時報」コラム

〈86〉8月の「はて?」

2024年10月25日

※文化時報2024年8月20日号の掲載記事です。

 夏の甲子園は今年から午前と夕方の2部制を部分的に導入することになった。猛暑が続く8月に行われる大会である。選手のみならず応援に訪れる保護者や生徒の健康面を考えると、もっともっと議論が必要であろう。

 多くの地域では8月はお盆がある。亡き人に思いをはせる大事な時期である。多くのお寺では何十軒もの檀家を回り、棚経を勤めることだろう。

 毎年繰り返してきた行事である。8月は日本人にとって特別な月であることは分かっている。広島・長崎に原爆が投下され多くの命が奪われた。戦争が終わったとされる日も8月。その時期にお仏壇の前で、お墓の前で手を合わせてきた。

 筆者の母親は毎年8月15日に菩提寺内のお墓参りを欠かさずしていた。

 しかし、昨年は「お彼岸に参ればいいから」と行かないよう促した。渋る母親であったが、昨年は8月15日に台風が大阪を直撃した。結果的にお参りはできなかった。今年からはお盆にお墓参りすることをやめるそうだ。台風がカレンダーを見てやってきたのではないが、母親にとっては気持ちの区切りができたようだった。

 今年になり「おっさん(住職の意)が気の毒だから、棚経も断ろうかしら」と言い出した。実は月参りも「そろそろ終わりにしたい」と言っている。きっかけができると急にいろいろなことをやめる気になるみたいだ。高齢ということもあって、仏事が負担になってきているのだろう。

 「はて?」仏事とはいったい誰のために必要なのだろうか? 義務感でするようなものだろうか? 

 筆者の実家ではお盆期間中の3日間、3食3膳をご仏前にお供えしている。母親は何十年も前からぶつぶつ文句を言いながらお供えしてきた。祖母が亡くなったらやめるのかと思いきや、それ以降10年以上も続けている。やはり「はて?」である。

 夏の甲子園とお盆の行事。いったいいつまで続くのだろう。変革の時期はとうにやってきているように思う。

 現実を無視した精神論が国を破綻に追い込んだ事実を振り返るのも、8月ではないだろうか?

 

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