2024年11月19日
※文化時報2024年9月6日号の掲載記事です。
1978(昭和53)年。YMO。ファンの間で「タンス」と呼ばれたシンセサイザーで作り出される画期的な機械的音楽は、新たな音楽分野「テクノポップ」をたたき出しました。演奏する彼らのなんとも不思議な雰囲気も相まって、世界中が、この斬新な音楽の神の降臨に熱狂したものです。当時、青臭い中学生だった私も、時代に乗り遅れるなとばかり夢中になったものでした。
まさにフロンティアであった彼らには、当然のことながら苦労もたくさんあったそうです。最初はまったく誰からも相手にされなかった。こんなのは音楽ではないと酷評された。そして、「タンス」が熱くなってしまって長時間演奏することができなかった。
その音楽が、今では携帯電話一つで再現できるのだそうです。
それほどに機械文化は進歩したのですね。ぴちぴちの中学生が還暦に至る間に、これほどまで世界が変わるとは…実に感慨深いです。
かつて、時代の寵児たちが音を出すために苦労に苦労を重ねた、そのプロセスが、今はボタン一つ押すだけで誰にでも可能になった。もうプロセスに労力を費やす必要がなくなったのです。それだけ、つくる側の「感性」がむき出しになるということでしょう。
これは他の場面でもいえることです。かつては拡散することが大変だったから、同じことを話せる人を増やす必要があった。でも今は、簡単に拡散できるので、話し手の質こそが大切になった。「誰でもできる」から、「この人にしかできない」に価値がシフトしていると感じています。
機械の発達で、人間はより唯一無二の「感性」を問われるようになったといえるでしょう。でも、これこそが、人間の最も正しい進化の仕方のような気がしています。
さあて、となりますと「感性」を磨かないといけません。ある意味、機械を開発するより手強い作業ですよ。まずは自分自身を見つめ直すことから始めようかな。お寺にでも行ってみるか…。皆々さま、出番でございます。