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インタビュー

橋渡しインタビュー

テロリストと対話し、未来描く 山﨑琢磨さん

2025年1月4日

 NPO法人アクセプト・インターナショナル(東京都中央区)は、武装勢力の戦闘員やテロリストをやめて投降した若者の社会復帰を支援する日本で唯一の団体だ。世界には、紛争やテロで国を追われる人々が後を絶たず、たくさんの命が奪われている。それでも「憎しみの連鎖をほどいていく」を理念に、過酷な環境で彼らと向き合う。職員の山﨑琢磨さん(27)に聞いた。

 山﨑さんは2023年にケニアへ派遣され、テロ組織の下で苦しんだ若者のサポートを行った。1年間の勤務を終えて現在は日本に戻っており、広報活動や講演に従事している。

支援の第一線で活躍する山﨑琢磨さん(左)
支援の第一線で活躍する山﨑琢磨さん(左)

 法人は11年、当時早稲田大学の1年生だった永井陽右さんが、ソマリアの飢餓と紛争問題に衝撃を受け、学生NGOを設立。現地に足を運び、テロ組織の一員になる若者の現状を手探りで調査したのが始まりだった。

 現在は7カ国・地域で活動しており、ソマリア、ケニア、インドネシア、イエメン、コロンビア、パレスチナにそれぞれ日本人の職員や現地スタッフを配置。2031年までに「テロや紛争下における若者の権利」を国際条約にすると公言している。「武装集団に関わり、取り残されている若者を救うためにはこれしかない」と山﨑さんは確信している。

 テロリストと対話して感じるのは「彼らもまたごく普通の人間であり、夢を持った若者である」ということ。ただ、テロ組織が支配する地域に住んでいると、いや応なしに兵士にさせられる人や、過激派の大人たちに洗脳される人もいるという。

(※アイキャッチ兼用)職業訓練でスマートフォンの修理方法を教える山﨑さん(右)
職業訓練でスマートフォンの修理方法を教える山﨑さん(右)

 法人は、ケアカウンセリングや基礎教育、職業訓練などのプログラムを用意しており、本来の自分自身を取り戻し、社会復帰ができるよう支援する。

 だが、実際にはプログラムを終了したところで生活が突然良くなるわけではない。ただでさえ仕事に就くことが困難な国で、犯罪者だった彼らが満足に働ける可能性は極めて低い。現実を見つめて物事を考えられるよう、対話を重ねていくという。

 「カウンセリングの際には職に就く難しさを伝え、まずは日雇いのアルバイトや親族の手伝いなどをして、なんとか生きていけるような技術を身に付けてほしいと伝えています」

 山﨑さんはケニアでの職業訓練で、スマートフォンの修理方法を教えた。学生時代に動画投稿サイト「ユーチューブ」を見て独学で学び、低価格で購入できる修理道具をそろえて、部品を取り寄せた経験を生かした。

 「スマホの修理ができれば生活費を稼げる」と技術を習得するよう促すと、参加者たちは真剣に取り組んだ。今では実際に仕事にしている元テロリストもいるという。

ひき逃げ事故で人生が一変

 山﨑さんは1997(平成9)年5月生まれ。神奈川県海老名市出身。慶應義塾大学へ入学した喜びもつかの間、1週間後にひき逃げ事故に遭い、全治1カ月の療養生活を送った。憧れのキャンパスライフで同級生たちから遅れを取り、人生で初めて壁にぶつかった。

 その間、自分を見つめ直し、動けない体で悶々(もんもん)と考えた。冷静になると、これまで高学歴・高収入の職業に就くことが人生の理想だと思い込んでいたことに気付かされた。

 「事故で車にぶつけられた瞬間、死が頭をよぎりました。助かった命を大切にしようと思い、普通の生き方はしないと決めたんです」

 そんな山﨑さんの元に、連絡が入った。事故を知った高校時代の友人が「珍しい活動をしている人がいるから会わないか」と、永井さんを紹介したのだ。今まで聞いたことのない人道支援活動の話に聞き入り、感化され、自ら学生NGOに所属した。

 夏には東ヨーロッパを一人旅できるほどまで回復し、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地を訪れた。推計8000人が95年7月に殺害された「スレブレニツァの虐殺」の地に行き、子どもから大人まで、墓に掘られた死亡年が全て95年となっていることに悲しみと恐怖を覚えた。

 墓地の前でひとりたたずむ高齢女性を見かけ、話しかけた。泣きながら話す姿から「言葉が分からなくても、戦争の悲惨さを訴えていることは感じた。あまりの理不尽さに怒りが込み上げてきた」という。

 当時、紛争から20年以上がたっていたが、それでも癒えない心の傷。山﨑さんが活動に身をささげることを決意した瞬間だった。

ソマリアの刑務所でビジネス構築のワークショップを行う
ソマリアの刑務所でビジネス構築のワークショップを行う

 山﨑さんの活動は学生時代から数えて9年目に入った。この間、ソマリアやケニアに何度も渡った。

 ケニアではギャングたちと膝を突き合わせ、話に耳を傾けた。窃盗、強盗、麻薬と次々に違法行為に手を染めてきた彼らも、生き方を変えたいと必死だった。

 ソマリア人のバルショーショという青年はギャング組織のリーダー格で、警戒心が強かったが、何度も対話を重ねるうちに徐々に打ち解けていった。

 「バルショーショは、ギャング組織を解散しようと決断してくれました。その後はオーディションを受けて映画俳優になり、僕も映画館で彼の出演した作品を鑑賞しました」

 ギャングたちは解散式の当日、これまでの悪行やこれからの希望をメモに書き出し、ドラム缶に入れて燃やした。地域の壁にグラフィックアートを描き「ギャングは解散、これからはユースリーダーになる」と、決意表明した。幸せを求めて笑顔で別れを告げ、それぞれの未来に向かって歩み出した。

ギャングの解散式の様子
ギャングの解散式の様子

 自分と同世代の若者が、人生をかけて、新しい門出を迎えた瞬間を山﨑さんは見届けた。

 何度も危険な目に遭った山崎さんだったが、ギャングやテロリストたちはこう語っていたという。

 「日本人だから信用した」「日本人は(サッカーの)ワールドカップでごみを拾ういい人」

 この先も変わらず、彼らに信頼してもらえる国であり続けたい。そしてアクセプト・インターナショナルの活動によってその信頼をさらに高めたい。山﨑さんは、そう願っている。

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