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インタビュー

橋渡しインタビュー

全てに意味がある 介護職に転身した小林健太さん

2025年1月25日

 埼玉県所沢市で福祉事業所を展開する有限会社カイゴーの代表取締役、小林健太さん(38)は2019年4月に父親から会社を引き継いだ。「日本一の幸せな会社を創ろう」を理念に掲げ、地域密着型の介護サービスを展開している。まさに幸せな家族経営を順調に進めてきたかに見えるが、その半生は困難の連続だった。紆余(うよ)曲折を乗り越え、今考えることは何なのか。

 カイゴーは2001年2月に設立。先代である父親が大手ドラッグストアに対抗して命名したのが由来だという。

有限会社カイゴーが入る建物
有限会社カイゴーが入る建物

 本社は所沢市小手指(こてさし)の中心部にある。1階は通所介護事業所の「デイサービスセンターみらい」。市内在住の高齢者が利用し、機能訓練や入浴、認知症ケアを行っている。2階は居宅介護支援事業所で、ケアマネジャーが常駐し、相談窓口を開いている。

 ほかにも訪問介護事業所や介護保険外サービス、西武池袋線小手指駅近くのカフェ併設デイサービス「南口パーラー」も運営している。

 小林さんは地域への思い入れが強く、昔から自治会のイベントやお祭りに積極的に参加してきた。「利用者だけでなく、働く介護職員もまちの一員」と、日頃から地域のつながりを大切にしている。

 会社を継いで感じたのは、「介護ビジネスは制度にあぐらをかいてきた」ということだった。近隣の高齢者には認知されても、他業種と比べれば広報やブランド力が弱く、人材も不足気味だという。

 とりわけ人材については、スキルアップを個々の努力に任せず、専門性を持った職員を会社全体で育てることが必要だと思っている。

一緒に働く職員たち
一緒に働く職員たち

 利用者の日常生活動作(ADL)を維持するために何ができるのか、具体的かつ論理的な支援を求めている。「足を鍛えるために運動をしましょう」と伝えるのではなく、どの程度の強度で、一日どのくらい歩いたら効果があるのか―など、職員がある程度の知識と技術を持つことが重要だと考えている。

家族を悩ませた兄と、苦しんだ難病

 小林さんは1986(昭和61)年生まれ。6人きょうだいの4番目として育った。父親は体が弱くて仕事が安定せず、知り合いの家に身を寄せるほど生活は困窮していた。生活保護を受けていた時期もあったという。

利用者たちと楽しく踊る小林健太さん(左)
利用者たちと楽しく踊る小林健太さん(左)

 最大の問題は、6歳上の長兄が家庭内で暴れることが多くトラブル続きであることだった。「今日は帰ってこない方がいい」と母親が言う日は、友達の家に寝泊まりするほどだった。

 小学6年の時に両親が離婚。次兄以外の兄弟と小林さんは母親に引き取られた。

 中学・高校では、弟たちの世話と家事に追われる毎日だった。授業が終わると保育園や学童保育に弟たちを迎えに行き、帰宅して夕食を作り、お風呂を沸かす。そして、仕事に行っている母親の帰りを待った。思春期真っただ中に、「なんで自分ばかりがこんな目に…」と嘆きたくなる感情を、必死で抑えた。

 高校卒業後は職を転々とした。23歳で結婚し、子どもが生まれた翌年に自身が難病の全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。一時、右半身不随となった。

 父親から会社を引き継いでくれないかという連絡があったのは、病状がようやく回復したころだった。

 それを機に介護士となり、2年ほど特別養護老人ホームで勤務。認知症の人がいるフロアを担当した。毎日のハプニングが逆に楽しく、職場の雰囲気にもなじんだ。

 その後、カイゴーに入職して管理者として経験を積み、2019年に代表取締役となった。

信じるものがあってよかった

 波瀾(はらん)万丈の半生で、いつ道を踏み外してもおかしくなかった。それでも踏みとどまれたのは、仏教の教えがあったからだという。両親は熱心な仏教徒で、幼いころから信仰に生きる姿を見て育った。他にも同じ信仰者たちと共に過ごすことにより、心が救われたことも小林さんの生き方に大きく影響していた。

体操する利用者たち
体操する利用者たち

 難病で思うように体が動かない時期にも、仏教の本を読みあさって心の支えとした。「自分の人生に起きることには、全て意味がある」。そう冷静になって、自分自身の身の振り方や生きる意味を見つめることができた。

 カイゴーを継ぐ話が来たとき、取り立てて介護業界に関心はなかったが、漠然と「恩返しできるチャンスが来た」と思ったという。

 「振り返れば、僕が子どもだったころは福祉サービスのお世話になって、家族が生活できました。それを思えば、介護職も悪くないと思えたのです」。穏やかに、淡々と話した。

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