2025年4月11日
全盲のシンガー・ソングライター大石亜矢子さん(49)は27年間にわたり、音楽活動を続けてきた。プライベートでは結婚・出産を経て、8年間生活を共にした盲導犬イリーナとの別れを経験。現在は盲導犬のいない生活を送っている。「音楽のない人生は考えられない」と語る大石さんに、これまでの人生とこれからの希望を語ってもらった。
心地よいクリアな歌声が印象的な大石さん。オリジナルソングは、女性の恋する気持ちや平和への願いなど、いろいろなテーマで作曲しており、表現の幅を広げている。
活動範囲は全国にまたがり、幼稚園や神社仏閣、地域のイベント、個人宅などでも歌を披露。夫の大胡田誠さん(47)は全盲の弁護士でギターが趣味とあって、「全盲夫婦によるトークアンドコンサート」を定期的に開いている。
2024年4月に盲導犬を引退するまでは、イリーナも家族の一員で、信頼できるパートナーとして、外出の際はどこへ行くにも支えてくれた。「イリーナがいたから私の世界が広がった」と懐かしむ。
大石さんに知らせが届いたのは、4カ月後のこと。イリーナが病気で亡くなったという。あまりのショックで握っていたスマートフォンを、落としそうになった。
新たな盲導犬の貸与を申請する気力もなくなってしまった。「盲導犬との生活は楽しく、たくさんの喜びがあることを知っています。生きる上でとても大切な存在ですが、今後をどうするのかは正直悩みどころです」
現在は、出かける時に白杖(はくじょう)を使っている。一つ一つの動作に時間をかけ、一人で歩くぶん、速度は以前より遅くなった。だが音楽活動については、歌える機会があればどこへでも行き、他の音楽家ともコンサートを開くなど、行動力は変わらない。
1975(昭和50)年生まれ。静岡県沼津市出身。男女の双子で誕生し、未熟児網膜症で失明した。母親に勧められ、5歳のときに盲学校の音楽教諭からピアノを習い始めた。音楽教諭自身も目が見えず、互いに鍵盤を触り、点字譜面の読み方などを教わった。
「ピアノを始めた頃、いとこが持っていたレコードから流れるコーラスの美しさに魅了されたんです。今、思い返すと私が音楽に目覚めた瞬間でした」。レッスンをおっくうに感じることはあったが、ピアノに触れることは好きで続けられた。
小学6年の時に「もっと友達が欲しい、いろいろな人と話がしたい」と、東京の筑波大学付属盲学校(現・筑波大学付属視覚特別支援学校)を中学受験。ところが入学後、寮生活などの環境になじめず、次第に不登校になった。
「どこにも居場所がなくてつらい時期でした。実家に戻って相談した帰り道、沼津から学校へ戻るのが嫌で何度も電車を降りようとする私の足を、母が踏んで止めました」
いくらつらくても、自分が変わらなければ状況は変わらない。そう悟った大石さんは、勇気を出して同級生たちに話しかけた。だんだんと友達が増えて気持ちが明るくなった。
やがて、音楽の道に進みたいと武蔵野音楽大学声楽科に進学。点訳した膨大な楽譜と教科書は7キロほどの重さになり、白杖を手にリュックを背負って通学した。卒業後、学生時代に知り合った夫と結婚し、主婦をしながら音楽活動を続けてきた。
「音楽のない人生は考えられない、どんなことがあっても歌いたい」。目が見えないぶん、幼い頃から音を頼りに生きてきた大石さん。音楽は彼女の生きる希望だった。
5年ほど前から、大石さんには悩みがあった。夫と盲導犬イリーナのことだ。以前から夫は盲目の弁護士としてメディアから取り上げられることがたびたびあり、大石さんも妻として応じてきた。
一方で自分が舞台に立てば、共演する音楽家は演奏のことを尋ねられるのに、自分には必ずといっていいほどイリーナに関する質問が大半だった。いくら努力をしても音楽家として認められず、むなしさを感じていた。
「開き直って『私はイリーナのマネジャーです』と冗談を言うこともありました。でもあるとき、私自身が消極的な姿を見せていたことに気付きました」
本心では、音楽家として表舞台で活躍したいと願っているのに、テレビのドキュメンタリーで全盲の夫を懸命に支える良き妻として取り上げられたことから、世間の目を意識していたという。
3年前に母が亡くなった。深い愛情と厳しさを持って育ててくれたが、心配が高じて「それはやめなさい」と自分のやりたいことを止めてくる相手でもあった。
「私もいつ人生が終わるか分からない。今動かなくては。ぼんやりしている暇はない」。気持ちが吹っ切れて、自分の意思で積極的に動こうと決めた。周りへの執着やうらやましさを捨て、前を向いた。
大石さんには今後、どんな目標があるのだろうか。
「今、構想を練っているのは歌が好きな人たちと集まって、一つのステージをつくっていけたらどんなに楽しいだろう、ということ。一緒に国内外を回り、みんなが輝ける場所になればいいですね」
歌に情熱をささげる大石さんは、今日もどこかで歌い続けている。