2025年7月4日
ファッションを通して、誰も取り残さないインクルーシブ=用語解説=な社会をつくりたいと、3人の女性が2024年4月、一般社団法人NiCHI(ニチ、東京都千代田区)を立ち上げた。3人とも、何らかの形で障害のある人のファッションに携わっており、それぞれのブランドの枠を超え、展示販売会やイベントを仕掛けている。共同代表理事の布施田祥子さん(49)は「『ひとりからみんなのデザインへ』という思いを形にしたい」と話す。
一般社団法人NiCHIは「今この瞬間の心地良さを大事に生きること」「ご縁を大切に、感謝し、そして繋(つな)げていくこと」「違いを受け入れ、価値観を尊重しあう仲間であること」など、大切にしている七つのルールを決めて活動している。
3人とも自身のブランドを持ちながら、全国の百貨店などで展示販売会を行い、着実に販路を広げている。
布施田さんは、脳出血の後遺症で左半身にまひがある。下肢装具を着けて履けるおしゃれな靴のブランド「Mana’olana」(マナオラナ)を立ち上げ、株式会社LUYL(ライル)を設立。持病を抱えながらも仕事と子育てを両立し、オーダーメードの靴を製作している。
加藤千晶さん(46)は、a.ladonna.(アラドナ)合同会社の代表でファッションデザイナー。手話通訳士の知人を介して、障害者の衣服について考えたことから、バリアフリープロジェクト「a.ladonna.+」(アラドナプラス)を始めた。車いすユーザーたちと共に、機能性のあるスタイリッシュな服を作り続けている。
田村優季さん(37)は「雑食縫製士」と名乗って活動中。盲ろう者の祖母を持ち、田村さん自身にも発達障害がある。自身のブランド「ouca(オウカ)」では、感覚過敏の人でも着られる肌触りにこだわったインナーや、視覚障害のある人でも履きやすい裏表前後のない靴下が商品化されている。
3人は以前からファッションのイベントを通じた知り合い同士だった。3人とも、1人だけでは社会の意識を変えることが難しいと感じており、同じ志を持つ仲間同士で、自分らしく生きるためのファッションを発信しようと社団を設立したという。
活動は、展示販売会以外にも多岐にわたる。
数カ月に1度、インクルーシブ・ヨガなどさまざまなワークショップを行う「NiCHI SALON」を開催。最近では死生観をテーマに、参加者全員で死について語り合った。死について考えることで、今を生きていることに意識が向くからだ。
女性だけでなく男性も参加しており、その都度テーマを設定する。企業や教育機関へ出向き、障害をテーマにした講演会や研修会も行っている。
「たとえ障害や病気がなくても、現代人は生きづらさを抱えている人が多い。ファッションを通して、周りの人たちとつながり、優しい世界をつくりたい」と布施田さんは話す。
3人のうち布施田さんと加藤さんが関東在住、田村さんは関西で暮らしている。このため会議は週に1度、オンラインで行っている。誰かが体調不良や家庭の事情で動けない日があっても、メンバー同士で助け合うという。
また、布施田さんは身体障害があるが、田村さんの発達障害に関する話を聞くことで、障害についてこれまで以上に深く学ぶことができ、視野が広がったという。お互いが刺激や影響を与え合っているようだ。
布施田さんは2011(平成23)年、娘を出産した後に脳出血で倒れ、後遺症で左半身にまひが残った。当時は家族のため、そして大好きなアイドルグループ「嵐」のライブに行きたいという一心で、必死にリハビリに励んだという。
さらに15年には難病の潰瘍性大腸炎で手術を受け、大腸を全て摘出し人工肛門を設置した。その後は懸命に体力を取り戻し、障害者雇用で働けるようになるまで回復した。
だが、それでもつらいことがあった。半身まひの状態では、履きたい靴をほとんど履けなかったのだ。
急性期病棟でのリハビリの成果で、片手でもリボン結びができるようになり、愛用のスニーカーだけは靴ひもを結んで履けたが、他は思うようにならない。
布施田さんは結婚前まで、押し入れを改装して大好きな靴を100足近く並べるほどの靴好きだった。「なら、自分が履きたい靴を作るしかない」とデザイン画を描き、協力してくれるメーカーを探し始めた。
人は障害や病気を持つことで、好きな服を着られなくなることがある。着たいという気持ちや服のセンスよりも、機能性を重視しがちになる。
だが、本当にそれでいいのだろうか。布施田さんは疑問を持ちながら、おしゃれをしたい人たちの声に耳を傾ける。
「最初からインクルーシブを掲げていたのではなく、自然とそのような方向を向いていました」と布施田さん。パンプスも革靴も、障害者と健常者が同じように履けるものを作ることで、マーケットを広げてきた。今ではマナオラナの靴を見たいと、展示販売会や試着会に全国から人が来る。
NiCHIとしては、今後はインクルーシブに関心を持つ企業とタイアップしながら活動を広げていくことを目指している。
一方で、布施田さんには「一人の困りごとに寄り添う」という信念がある。
例えば、布施田さんの夢は屋久島(鹿児島県)にある屋久杉を見に行くことだ。それをかなえるためには、半身まひがあっても自然の中を歩ける靴が必要になる。
「その靴を一緒に開発してくださる企業と出会えたらいいですね。楽しみながら、夢を実現していきたい」
NiCHIの名前の由来は、禅語である「日日是好日」。過去や未来にとらわれず、今日という日を大切に生きるという意味がある。
障害の有無に関係なく、夢や幸せを諦めないことが活動の原点になっている。
【用語解説】インクルーシブ
障害の有無や性別などによって人々が孤立しないよう援護し、社会の構成員として包み込むこと。直訳は「全てを包む」「包摂的」で、「ソーシャル・インクルージョン」(社会的包摂)が語源とされる。