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インタビュー

橋渡しインタビュー

子どもたちの居場所に虹をかける 林ともこさん

2024年10月19日

 大津市のNPO法人「好きと生きる」は、不登校の子どもたちを中心とした居場所「にじっこ」を運営している。主宰者は元小学校教諭の林ともこさん(51)。不登校経験者でつくるバンドJERRY BEANS(ジェリービーンズ)のボーカル山崎史朗さん(41)とタッグを組み、学校に行かない選択をした子どもたちを見守り、忍耐強く向き合っている。

一人の児童がきっかけ

 文部科学省の調査によれば、全国の国立、私立、公立の小・中学校での不登校児童生徒数は、2022年度に過去最多の29万9千件に上った。

 かつては嫌がる子どもを親が引きずり、学校に行かせるという光景を見かけたが、現代は子どもの意見を尊重し、無理に学校という枠にはめようとしないのが、世間の風潮だ。

 だが、学校に行かないという事実に悩む親子は少なくない。このため家庭だけの問題で終わらせないよう、にじっこは常に手を差し伸べてきた。

にじっこを主宰する林ともこさん(右)と山崎史朗さん ※アイキャッチ兼用
にじっこを主宰する林ともこさん(右)と山崎史朗さん

 林さんは2018(平成30)年2月、滋賀県長浜市で「にじっこ」の運営を始めた。当時は小学校勤務で2年生のクラスで支援員をしており、学校以外の居場所をつくってあげたいと思ったのがきっかけだったという。

 受け持っていた男子児童のA君は、学年を飛び越えて先の勉強をするような子どもだった。好きなことや得意なことがたくさんあり、好奇心が旺盛な一方、学校生活にはしんどさがあった。

 やがて林さんは小学校を退職し、その年の4月から活動を本格化させた。A君は林さんに誘われてにじっこに通い始め、中学生になった今でもいい関係を築いている。

 林さんと山崎さんは、にじっこがスタートして間もなく、長浜市で開催された音楽イベントで知り合った。山崎さんは、大津市から2時間かけて車を走らせ、子どもたちに会いに来た。

 意気投合した2人はその後、活動を共にするようになり、NPO法人を設立。「にじっこサポーター」と呼ぶボランティアたちの協力を得て、居場所を求める小中学生を迎えている。

プログラムは作らず、自由にのんびりと

 現在の活動地域は滋賀県内の8カ所。各地域で10人ほどの小学生が集まり、家族以外の大人や同世代の子どもたちに交じって、それぞれが自由な時間を過ごす。開催場所は社会福祉協議会の一室や古民家だ。

 小学生は日中、中学生は夕方から夜までと1回の活動時間は4時間。不登校の親の会と連携し、子どもを預けた保護者は別室で互いの近況報告をするなど、親たちにとっても心の休息時間になっている。

「初めまして」でも次第に仲良くなる
「初めまして」でも次第に仲良くなる

 「ここにはプログラムがなく、決まり事はありません。ゲーム機で遊んだり、外で鬼ごっこしたりと、さまざまな子がいます。何かしてもいいし、しなくてもいい。こんなに自由なのは、にじっこぐらいかも」と、林さんはほほ笑む。

 学校の規則やクラスの人間関係、家での約束事など、普段から「決まり事」の多い生活を強いられる子どもたちに、これ以上心を疲れさせることはしたくないのだという。

 子どもたちは、勉強したければ、勉強する。林さんは、にじっこだけでなくフリースクールも開校しており、もっと学びたい子はフリースクールにも行ける。思いをできるだけくみ取り、親子にとって前に向ける方向を一緒に探している。

 山崎さんは、にじっこに初めて来た日から、すんなり小学生たちの仲間に入っていった。 中には反抗して暴力を振るう子もいたが、山崎さんは避けずに真剣に向き合った。その子は次第に心を開き、今では中学生になって活動を支える一員になっている。

 山崎さんは言う。「かつての僕も、不登校の親の会に連れて来られた子どもでした。だから、彼らにとってはにじっこが必要だとよく分かります。『通いたいけど、遠方で難しい』という声を聞けば、『僕らから会いに行こう』と活動範囲を広げてきました」

 お弁当を持参するのも自由。食べたくなければ食べなくてもいい(画像を一部処理しています)←※この()内はキャプションに入れること
お弁当を持参するのも自由。食べたくなければ食べなくてもいい(画像を一部処理しています)

 林さんは感心してこう振り返る。

 「山崎さんが、子どもたちの中にすっと溶け込んでいく姿を見て驚きました。『彼らが取る行動には意味がある』と言って、どんなことがあっても子どもたちを信じていました」

 二人は子ども一人一人への声かけについて反省会を開き、何時間も議論を重ねることもあったという。

一人娘の死「生きているだけで素晴らしい」

 林さんは30代初めで長女を出産した。心臓病と脳性まひを抱え、24時間全介護が必要な子どもだった。

 手足は動かせるが、立つ・座るなどの動作は難しく、会話もできない。

 それでも「あー」「うー」と声を出し、よく笑う子だった。表情豊かな娘の顔を見て林さんの気持ちは何度も救われた。

 一日でも長く一緒にいたいと願ったが、自宅と病院で3年ずつ過ごし、6歳でこの世を去った。

 「娘が亡くなって12年がたちますが、今でも『生きていてくれたら』って思います。この地球に生きているだけで、本当にどの子もみんな、花マルです。今日生きていること自体が素晴らしいことだと思います」

 外出や合宿なども行う
外出や合宿なども行う

 その後、不妊治療などを試みたが、2人目を授かることはできなかった。

 娘が亡くなった日、空にはきれいな虹がかかった。それ以降、虹を見ると娘からのメッセージだと感じるという。

 「自分が親だからと、子どもの全部を背負わなくていい」と林さんは言う。

 今では、にじっこの子どもたちが林さんの希望だ。一人の子どもの成長をみんなで見守れる世の中にするため、これからも居場所という虹の橋を架け続ける。

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