2025年3月1日
60年代を知ろう!③~大相撲編~大鵬1強の時代
かつて、子どもたちに人気のあるものを示す言葉として「巨人・大鵬(たいほう)・卵焼き」がありました。
大鵬が新入幕を果たしたのは1960年の1月場所で、初日から11連勝という衝撃の幕内デビューを果たしました。初優勝はその年の11月場所です。
60年代に開催された大相撲は合計60場所あり、実にそのうち半数の30場所を大鵬が制しました。特に62年7月場所から63年5月場所までと、66年3月場所から67年1月場所まで、2回の6連覇を果たしています。引退は71年ですから、60年代の大相撲は、まさしく大鵬と共にあったといえるでしょう。
60年代は、現在でも続く大相撲のルールなどが決まった時代でもあります。
例えば大相撲のテレビ中継は、かつては民放も放送していました。しかしコマーシャルのために取組を見られない場合があり、NHKほどの人気は得られませんでした。66年3月からはNHKのみとなっています。
また、現在の「部屋別総当たり制」導入は65年1月場所からです。それまでは親子・兄弟関係にある部屋同士の対戦が組まれない方式でした。
今では当たり前になった外国人力士ですが、戦後第1号となったハワイ出身の高見山が関取になったのは67年3月です。
ビデオ判定の導入にも、大鵬が絡んでいます。69年3月場所の2日目で大鵬の連勝が45でストップする波乱が起きたのですが、翌日の新聞には対戦力士の足が先に土俵の外に出ていることが、写真にはっきり写っていました。「大誤審」として大騒動になったのを教訓にして、判定にビデオが活用されることになったといいます。