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命救う報道 阪神大震災を伝えたアナウンサー講演

2024年2月23日 | 2024年7月8日更新

※文化時報2024年1月26日の掲載記事です。

 浄土真宗本願寺派の本願寺神戸別院(松本隆英輪番、神戸市中央区)は17日、阪神・淡路大震災の物故者総追悼法要と「いのち」を考える研修会を行った。宗門校の中高生らによる作文の発表のほか、朝日放送テレビアナウンサーで神戸新開地・喜楽館支配人の伊藤史隆(しりゅう)さん(61)が、自身の被災経験を基に講演した。

 伊藤さんは愛知県生まれ。神戸大学卒業後、朝日放送(当時)にアナウンス職で入社。主にスポーツ中継を担当し、2011(平成23)年からは報道キャスターも務めた。大学在学中に落語研究会に所属していたこともあって、23年7月には寄席の神戸新開地・喜楽館で初代支配人に就いた。

 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県尼崎市の自宅2階で妻と3歳の長女、生後2カ月の長男と寝ていたところ、地震が起きた。

(画像:アイキャッチ兼用:被災当時を語る伊藤さん)
被災当時を語る伊藤さん

 ベビーベッドに寝かせていた長男が激しく跳ねるほどの揺れ。本棚が倒れて妻の腰に当たり、歩けなくなった妻を背負って、階段を駆け降りた。

 自宅の目の前にある小学校へ避難し、置いてあったテレビを見たが、最も被害を受けた神戸の映像は流れなかった。「それは、被災して傷ついた神戸の人々を余計に落ち込ませた」と朝日放送テレビアナウンサーの伊藤史隆さん(61)は振り返る。

 電話は全くつながらなかった。発生から約20時間後、兵庫県明石市にいた妻の両親が車で駆け付けてくれた。伊藤さんはとにかく大阪市内の会社へ向かおうと、被害の少なかった神戸市北区の有馬へ出て、同県宝塚市の阪急雲雀丘(ひばりがおか)花屋敷駅までタクシーで行こうとしたものの、大渋滞に巻き込まれ、線路などを歩いた。

 会社で安否確認を済ませ、被災地取材を頼まれた伊藤さんは、大阪市中央卸売市場(大阪市福島区)から船で神戸へ入った。初めは神戸市兵庫区にある湊川や上沢を訪れた。近辺は通電で引き起こされる火災が多く、あちこちから火の手が上がっていた。消火栓が使えず、学校のプールからホースで水を引く状況で、リポート担当の伊藤さんも、手伝うよう頼まれた。

 「あそこ家やねん、消して!」と叫ぶ女性。「ごめん、水ないんや、おばちゃんごめん」と必死に謝る消防隊員。そのやり取りを、今も鮮明に覚えている。

 消火活動の様子を映していたカメラマンは「自分はこんなことをしていていいのか」とひどく落ち込んでいた。しかし、記録することで次の被害を減らすことができる。それが報道の使命だと伊藤さんは考えた。

(画像:本願寺神戸別院で営まれた物故者総追悼法要)
本願寺神戸別院で営まれた物故者総追悼法要

 「あんたも大変やったね」。取材を続けていると、自分よりも大変な状況にいる被災者から、そう声を掛けられることが多かった。そのたびに「人の心を思いながら取材しなければならない」と決意を新たにした。

 あれから29年。自分に何ができるのかと、今も考え続けている。

 読売新聞大阪社会部の記者だった故・黒田清氏は、取材・報道の意味について「全ての家庭の幸せを守るため」と答えたという。伊藤さんは「幸せを奪うような戦争、差別にあらがい、自然災害に備え、命を救うのが報道の役割。今も、これからも、心してまいります」と、講演を締めくくった。

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