2024年7月6日
※文化時報2024年5月10日号の掲載記事です。
ローマ教皇フランシスコが6月にイタリアで開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)に出席し、人工知能(AI)をテーマにする会合でスピーチを行う見通しとなった。約13億人の信者を抱えるローマ・カトリックのトップというだけでなく、バチカンの国家元首でもある教皇は、外交によって世界を動かしてきた歴史がある。今回も要注目だ。
バチカン・ニュースによれば、教皇フランシスコは今年1月、「世界広報の日」に先立ってメッセージを発表し、AIについて「無知からの解放に貢献し、情報交換を容易にできる」と評価した。一方で「偽りによって現実をゆがめ、認識を汚染する道具にもなり得る」と懸念を示した。
「Chat GPT」(チャットGPT)などの生成AIは目覚ましく性能が上がっており、ビジネスパーソンや士業を中心に、あいさつやメール文面の作成、資料の要約などに活用する人が少なくない。中には動画やプレゼンテーション資料の制作に利用している人もいる。
AIを巡る議論はもはや業務へ導入することの是非を問う段階を通り越し、いかに導入すべきかに至っていると見た方がいい。
ただ、野村総合研究所子会社のNRIセキュアテクノロジーズが今年1月に発表した調査では、導入済みの日本企業は18%にとどまった。同時に調査した米国企業(73.5%)、オーストラリア企業(66.2%)と比べて低さが際立つのは、中小企業の慎重姿勢が背景にあるのだという。
先日、そうした中小企業の経営者向けのセミナーに参加する機会があった。
講師は生成AIの使い方について「対話する」「適材適所で使う」「課金する」の三つが重要であると説き、これらの特徴が「従業員と同じである」と指摘した。
従業員を物扱いするかのような発言には眉をひそめたが、AIのように指示通り、効率よく、タフに仕事をする人材こそ優秀だという評価の仕方はあり得る。
問題は、経営者がAIを従業員の代わりとして使おうとする発想にある。これでは人間から仕事を奪っているのは、AIではなく、AIを使う経営者ということになりはしないか。
教皇フランシスコは別の機会に発表したメッセージで「全人類の生活の質の向上に寄与せず、逆に不平等や紛争をあおる技術開発は、真の進歩とは決していえない」と強調した。
倫理的な課題に対して宗教界が示せる知見は多々あると思われるが、普及してきたAIを利用する人間の心を戒めるという役割も、自覚してもらいたい。
さて、AIを業務に使うのなら、従業員の評価基準を見直す必要がある。すなわち「指示に従う」「効率よく働く」「タフである」ことから、「0から1を生む」「倫理的な判断ができる」「同僚を思いやれる」など、AIが不得手とされる能力にシフトするのだ。
AIを活用できれば、人間にしかできない業務にたくさん取り組める。宗教法人も同様のことがいえよう。無理やり導入しなくても構わないが、食わず嫌いでいることもない。
(主筆 小野木康雄)