2024年7月16日
※文化時報2024年5月24日号の掲載記事です。
コロナ禍で子ども食堂を開けなくなった代わりに、何かできないだろうか。そう考えた地域住民が始めたのは、子ども服のリユース(再利用)だった。真言宗豊山派石手寺(松山市)で毎月開かれている「どうぞ&ありがとうの会」。誰もが与え、与えられる循環の輪が、お寺の中にできている。(松井里歩)
石手寺は道後温泉の近くにあり、初詣に訪れる参拝者も多い名刹(めいさつ)。四国八十八ヶ所霊場第51番札所でもある。駐車場の向かいにある「こども仕合(しあわ)せ堂」が「どうぞ&ありがとうの会」の会場だ。
毎回30組以上の親子が訪れるといい、通算33回目の開催となった昨年11月26日にも、多くの親子がやってきた。顔なじみなのか、あいさつを交わす様子もあちこちで見られる。
入り口前の受付には、「おひとり1個どうぞ!」と書かれた段ボールに、たくさんのミカンがあった。フードロス削減を兼ねて、地域のマルシェなどから果物や食品を譲り受けることが多いという。他の家庭のために手作りしたクリスマスリースを持ってきて、置いていった参加者もいた。
この日ボランティアに訪れたのは、お遍路の案内人である先達や地域住民の女性たち。初めて手伝いに来た愛媛大学の宮津千晴さんは、元々子ども食堂などのボランティアに興味があったといい、子どもたちの相手をしていた。
会場は1階を子どもたちの遊び場、2階をリユース会場と分け、子どもを遊ばせている間に親がゆっくりと服を選べる仕組みになっている。親同士、子ども同士の交流も活発だ。
続々と親子がやって来る中、大きな段ボールを5箱抱えて階段を上ってきた家族がいた。近くに住む30代の松山康江さん。3人の子どもがおり、1年半ほど前から毎月通っている常連という。
「子どもは成長が早く、すぐに着られなくなる服が多くて困るので、ここは私たちのような家庭にぴったりの場所。誰かがうちの服を選んだり着たりしているのを見かけるとうれしいし、そこから会話につながることもある」と話す。
サイズや性別ごとに大まかに服を仕分けして並べることで、同年代の子どもを持つ親かどうか判別しやすく、会話の糸口がつかみやすい。悩みを相談し合う間柄になることもあるといい、貴重な交流の場にもなっている。
「どうぞ&ありがとうの会」を取り仕切っているのは、近くに住む50代の近藤節夏(せつか)さん。石手寺が運営する石手幼稚園に子どもが通っていた縁から、当時の加藤俊生住職と知り合い、誘いを受けて子ども食堂に携わることになった。
2008年に中国・四川省で起きた大地震の被災者や、11年の東日本大震災で福島からの避難者を支援するなど、社会活動で有名だったという加藤住職は、18年に子ども食堂のための建物として、「こども仕合せ堂」を建てた。木のぬくもりを大切にしつつ、キッチンを完備。宗教・宗派の違いや有無に関係なく、誰でも来られるようにと考えていたのだという。
近藤さんは「このあたりは転勤族が多く、比較的裕福な家庭が多い。食べられない子に、というよりは、月に一度集まれるパーティーのような感じで子ども食堂を開催していた」と、当時を振り返る。
しかし、コロナ禍によって活動は約1年で中止を余儀なくされた。どうにか再開させたいと考えていたところ、21年7月に加藤住職が63歳で急逝した。
加藤住職の遺志とともに、この建物を何とか活用できないか―。近藤さんらは子ども食堂を続けるという発想をやめ、料理や弁当と違って腐らずに置いておける子ども服のリユースを思いついた。「どうぞ&ありがとう」という会の名前が示すように、もらうばかりでなくあげられるようにすることで、引け目や心苦しさを減らせているという。
会は、着なくなった服などを預けたり、引き取ったりするだけではない。キッチンが、飲み物を飲んだり雑談したりできる居場所にもなっている。ひとり親家庭など生活が苦しい人のためには、米や食品などの入った袋が用意されており、安心して頼ることができる。
子ども食堂を開いていたころは、生活に困っていない子どもたちが多く来ていたが、それは食事ではなく「つながり」を求めていたからだった。だからこそ、近藤さんは子ども服のリユースも、つながりを大切にして活動している。
近藤さんは地域住民でもあるボランティアたちから信頼を置かれており、「近藤さんの思いがなければ成り立っていない活動」との声も上がる。これからも、子ども食堂時代の思いや名残を生かしながら、居場所やつながりの場として親子を支えていく。