2024年8月13日
※文化時報2024年7月5日号の掲載記事です。
仏教において動物は「畜生」と呼ばれ、元来は人間より下の存在として認識されてきた。家族同然に扱われるペットも、仏道を知ることのできない動物であるため、極楽浄土に往生できるかは賛否が分かれる。特に浄土宗ではこれまで、さまざまな議論が重ねられてきた。(松井里歩)
動物が往生できないとされるのは、教えを聞けず、修行することもできないことが理由にある。しかし、動物自身の力での往生は不可能でも、人間による回向などの助けがあれば動物でも往生が可能ではないか―と考える人もいる。
2016(平成28)年4月2日付の文化時報は、浄土宗の定期宗議会で杉森隆志議員(当時)が「ペットも極楽に往生し、飼い主といずれ再会できるのか」と質問したと報じた。
答弁に立った当時の藤本淨彦総合研究所所長(現・大本山くろ谷金戒光明寺法主)は、法然上人の著作『往生浄土用心』の記述から、ペットも迷いの世界を離れて往生できるとの解釈を示した。
廃棄物処理法第2条1項で、動物の遺骸や遺骨は「一般廃棄物」とされている。納骨については、自治体が運営する公営墓地では禁じられているが、ペットと人間が同じ墓に入ること自体は規制されていない。しかし、ペット霊園でない民間の公共墓地に入れる場合でも、動物が苦手な人などへの配慮は求められる。これを踏まえ、藤本氏は「法律論と心情論の線引きが必要となる課題だ」と総括した。
そうした中、同年9月に佛教大学(京都市北区)で開催された浄土宗総合学術大会で、「往生できない」という正反対の主張が注目を集めた。安達俊英・知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員による「法然上人は、動物のままでは順次往生できないと言っていた」とする発表だ。
順次往生とは、今生を終えた時点でそのまま極楽浄土へ往(い)くことを指す。一方で順後往生は、輪廻(りんね)転生の後、次回以降の生で往生できるという考え方だ。動物の場合は、今生を終えて以降、人間に生まれ変わることができれば往生のチャンスがあるという理屈となる。
同年9月28日付の文化時報によれば、安達氏は、法然が著したと伝えられる『念仏大意』『要義問答』などにおいて、三悪道=用語解説=に落ちれば当分は往生不可能だと強調されていることなどを主張の根拠に挙げた。
また、宗議会で藤本氏が引用した『往生浄土用心』などにみられる往生を可能とする記述に対しては「対機説法的に順次往生を認める場合もあったと言えるが、繰り返し述べられている基本原則を重視すべきだ」との論拠を示した。その一方で、ペット供養そのものは命を大切にすべき宗教者として大事なことであり、要望に応えて勤めることを勧める姿勢を取った。
宗学研究者の中でも意見が分かれることになったこの問題は、19年2月19日に「ペットは往生できるのか」をテーマに、浄土宗教学院が大本山増上寺(東京都港区)で公開講座を開くなど、宗内では継続して考えられてきた。
同年7月8日放送のNHKニュース「おはよう日本」は、特集でペット遺骨の埋葬を取り上げた際、「浄土宗では今後、ペットを同じ墓に入れたいという問い合わせがあった場合、仏の教えに反することはない、と答える方針です」とのアナウンスと字幕が流れ、会員制交流サイト(SNS)で好意的な反応が相次いだ。
これに対し浄土宗は、取材を受けた浄土宗総合研究所の研究員はそうした回答をしておらず、宗としても統一した見解を出していない―と放送翌日に発表した。
以降、ペット供養・往生に関する宗の統一見解はいまだ出ていない。
ペットの順次往生が可能であれば、ペットは動物のままで極楽浄土に行けることを意味する。回向によって人間などに生まれ変わるなら、いずれにせよ往生すること自体は可能だが、飼い主にとっては「動物のままで往生し、再会できるかどうか」が重要な点だ。
浄土宗は念仏を唱えることを重要視しており、理論上、念仏を唱えられない動物は往生できない。しかし、これは人間に生まれても障害や生後間もなく亡くなることによって、念仏が唱えられない人は往生できないのか―という問題にも発展し得る議論だ。
ペットであっても動物は全て「畜生」だとして供養に意味がないと捉えるのか、あるいは「家族」の一員として扱い、供養を引き受けるのか。教学の解釈と供養は、切り離してしか考えられないのか―。
浄土宗に限らず、僧侶としてペットを含む衆生の命をどう捉えるのか、それぞれが考える必要がありそうだ。
【用語解説】三悪道(さんあくどう=仏教全般)
仏教における六道輪廻の中で天道・人間道・修羅道を除く畜生道・餓鬼道・地獄道の三つの世界。悪業を積んだものが落ちるとされる。三悪趣(さんあくしゅ)とも。