2026年1月14日
※文化時報2025年11月28日号の掲載記事です。
依頼者の自宅などに出向き、家族写真や遺影などを撮影するフォトグラファー、盛(もり)勝利さん(57)=大阪府高槻市=は、50歳を過ぎてからプロになった異色の写真家だ。会計事務所で長年、相続に関する仕事をしていたが、「一度きりの人生なのだから好きなことをしたい」と一念発起。口コミでお客が増え、最近は障害のある人のポートレートやお寺で仏像を撮る機会に恵まれるようになった。「どんな人にも喜んでほしい」。その一心でシャッターを切っている。(主筆 小野木康雄)

「俳優さんのようなりりしいお顔ですね」「もう素敵な表情になってます!」。盛さんが軽妙に声をかけると、レンズを向けられた人たちから自然と笑みがこぼれた。
3日、奈良県葛城市の高野山真言宗影現寺(深水弘裕住職)で行われた無料撮影会。寺宝展の開催に合わせ、訪れた檀信徒らに喜んでもらおうと、影現寺が初めて企画した。来場者の半数強に当たる約20人が撮影を希望し、即席のスタジオからは、にぎやかな笑い声が絶えなかった。

「いい機材があれば、いい写真が撮れるというわけではない。それよりも、かけ合いや言葉がけの方が大事」。盛さんはそう語る。
お寺のポスターに使う仏像の撮影を任せられるなど、今や影現寺から絶大な信頼を得ているが、元々は落語家の桂小文三(こぶんざ)さんとの縁。同寺で開かれた落語会で、盛さんが宣材写真を撮っていたところ、深水住職に気に入ってもらえた。

小文三さんとは、大阪・天満にある盛さんの行きつけの屋台で、アルバイト店員をしているお笑い芸人を通じて知り合った。実はそもそもの始まりが、このお笑い芸人から宣材写真を頼まれたことだったというから、盛さんの人柄の良さがうかがえる。
フォトグラファーとしての原点は小学1年のときに撮影した祖母、好千代さんの写真。和服姿で部屋の隅に座っているところを、家にあったカメラで撮ったもので「上手やねえ」と言ってくれた。

盛さんが21歳のとき、好千代さんは亡くなったが、そのときの写真をずっと飾ってくれていたことを後になって知った。
「写真は人を幸せにする」と実感し、会計事務所に勤めだしてからも、社員旅行で率先して撮影役を買って出たり、同僚の結婚式でカメラを構えたりしていた。
プロ野球の試合を見に行き、バックネット裏からシャッターチャンスを狙って撮影した迫力ある写真を、子どもたちに無料で配ることもあった。「お金じゃない。人に渡して、喜んでもらいたかった」
一方、勤務先は2回変わったものの、仕事内容はずっと相続関連。財産のある人の幸せにしか携わっていないと感じていた。「これを一生続けるんだろうか」。そんな思いが頭をもたげ、「このままだと後悔する。好きなことをしよう」と退職を決めた。54歳のときだった。
意識していたのは父、整志さんのこと。盛さんが18歳のとき、59歳で他界した。その年齢が迫っていた。
盛さんは整志さんと折り合いが悪く、胃がんで入院していた最期の1年間のうち、見舞いに行った回数は数えるほどしかなかった。父に十分声をかけられなかったことを、今も悔やむ。

「介護施設で勤めれば、自分が優しい人間でいられる」。そう思って、退職後は高槻市内の介護老人保健施設で介護助手として働いている。月~木曜は施設で、金~日曜はフォトグラファーとして二足のわらじを履く。
施設で利用者やスタッフの写真を撮る機会も多いが、気付いたことがある。
「多くの利用者は『家に帰りたい』と言って亡くなっていく。それなら誰でも、住み慣れた自宅で家族に見守られながらの方が、いい写真が撮れるのではないか」。スタジオを構えず、出張専門で撮影する理由の一つだ。
障害のある人のポートレートを撮るのも、本人が落ち着く場所へ出向く方がいいという。写真館を予約しても、障害の種類によっては騒いだり暴れたりして、満足できる写真がなかなか撮れないからだ。
「いい表情の写真を1枚撮れば、100年先の未来のご家族も大事にしてくれるかもしれない」。被写体となった誰もが幸せになれるよう、盛さんはきょうも笑顔を引き出し、シャッターボタンを押す。