検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 『文化時報』コラム > 福祉仏教の現場から > 〈118〉この社会をどう生きる

読む

「文化時報」コラム

〈118〉この社会をどう生きる

2026年3月11日

※文化時報2026年1月27日号の掲載記事です。

 国内外ともにきなくさい空気が漂っています。力の強い国が武力でもって我を通しだすと、弱い国は意に反して巻き込まれていくのでしょう。もう世界大戦前夜のような国際情勢といえるのではないでしょうか。

 つまるところ人間は争いを繰り返す存在なのでしょう。本来動物がそういうものなのかもしれません。しかし、人間は憶測に基づき必要以上に攻撃してしまう点では、他の動物よりも残忍といえるでしょう。だからこそ、人間には宗教が必要なんだと改めて思います。

 そんな中、わが国では総選挙が行われることになりました。仏教用語の「中道」という言葉が選挙戦略に利用されているかのようにも見えます。そんなことが宗教にネガティブなイメージを持つ人が増える一因となっているようにさえ思えます。

 世の中がどんなふうに変わっていくのか、怖い想像しかできません。だからこそ、念仏者としてどう生きていくのかを今のうちに考えておきたいと思います。

 歴史を振り返ると、宗教は権力者にとって都合が悪い存在になることが多いのです。教えを曲げて権力者に都合のいいプロパガンダを垂れ流すことがまたあるかもしれません。親鸞聖人がおっしゃったように、縁が重なればどんなことでもしてしまうのが人間の本性であります。

 平和で豊かな時代にはそれなりの布教が、そうでなくなってきた時代には別の方法が必要になってくるのではないでしょうか。

 とはいうものの、何が正解なのかさっぱり分かりません。私にできるのは、日々の暮らしに不安や悲しみを抱えている人々の話に耳を傾けることだけです。そして、国内外で起こっている邪悪な出来事は、他人事ではなく自分の身にもその種があることを自覚して生きることです。

 いのちはつながっています。全て自分事であり、その悪業はもう抱えきれないほど深く重いのです。品行方正には生きていません。道徳的でもありません。罪の深さに震えながら、手を合わせるしかできないのが念仏者なのかもしれません。

同じカテゴリの最新記事

おすすめ記事

error: コンテンツは保護されています