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「文化時報」コラム

〈82〉ちょうちょを助けて…

2025年6月20日

※文化時報2025年3月28日号の掲載記事です。

 先日、チベット仏教の師匠から教えていただいた話です。

傾聴ーいのちの叫び

 お母さんと小さな子どもが、公園で遊んでいました。そこへひらひらと飛んできたちょうちょを、子どもが捕まえました。「きれいだね」と2人してしばらく見ていたのですが、突然、子どもがちょうちょの羽をむしろうとしました。

 お母さんは慌ててそれを止め「そんなことをしてはダメ。ちょうちょが死んでしまう。かわいそうでしょ」ときつく叱りました。子どもは目に涙をためながら「ごめんなさい」と謝りました。

 さて、公園から家に戻り玄関のドアを開けると、なんとそこにゴキブリが!

 お母さんは慌てて立て掛けてあったほうきを手に取ると、バッシバッシと振り下ろし、あっという間にゴキブリをたたき潰してしまいました。

 それを見ていた子どもが言いました。「ママ、ゴキブリは殺していいの? ちょうちょはかわいそうで、ゴキブリはかわいそうじゃないの?」

 さて、あなたがこのお母さんだったら、この子になんと答えますか?

 さあ、みなさん、いかがでしょう。もしかすると「汚いから」とか「病気を運ぶから」とか「害虫は駆除すべきだから」などと説明しようとお考えになったかもしれません。たしかにもっともらしくはあるのですが、「じゃ、汚いものは殺していいんだね」などと言われはじめたら、それこそとんでもないことになっていくでしょう。

 つまり、自分の行動を正当化するための言葉では、解決しないのです。

 では、どうすればよいのか。師曰(いわ)く「あ、そうか。ママが間違っていた。ごめんね」と言えばよい。これが仏教的解決方法だと。「間違っていた、ごめん」という気持ちが芽生えたら、自然と救い出される。しかも、何度でも、繰り返し。仏教とは、そういう仕組みだと説いてくださったのです。

 たしかに。己の非を認め謝ることは、言うほど簡単ではありません。気がつけば言い訳ばかりのわが身を苦々しく振り返ると同時に、仏の懐の深さに首を垂れたのでした。

 

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