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「文化時報」コラム

〈29〉最期の頂き物

2023年4月8日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2022年10月21日号の掲載記事です。

 久しぶりに感情の〝ブロック〟に失敗しまして、眠れない夜を過ごしております。

傾聴ーいのちの叫び

 50代の僧侶でした。血液のがんの末期です。壮絶な闘いだったことが、治療の副作用で何も見ることができなくなってしまった目からも分かります。

 最初にお伺いした時は、えらくぶっきらぼうで、取り付く島もありませんでした。

 次にお会いした時には、「ずっと信じてやってきたけど、自分がこうなってみて初めて分かった。死ぬのは、怖い。仏がいようがいまいが、どうしようもなく怖い。あんたは『仏さまが護(まも)ってくれる』なんていいかげんなことは言わないでくれよ」と怒られまくりました。それでも「もし、虎屋のようかんがあったら、3分の1はあげてもいいくらい」だとOKサインのようなものを頂いたので、次の約束をさせていただきました。

 でも、その約束は、かないませんでした。

 ずっと考えていたんです。心から信じてきたものを否定しなければやっていられないほどの〝怖さ〟について。元気に飯を食らっている私に分かる訳もありませんが、それでも、何か、掛ける言葉がないものかと。

 そっと触らせていただいたら、まだ少し温もりがありました。怖い、怖いって言っていたけど、なんだ、上手に死ねたんじゃない。

 しばらくすると、部屋の後片付けをしていた看護師が「これ、もらってあげて」と小さな箱を持ってきました。「売店にベッドごと行ってね、今度来たとき一緒に食べるんだって、買ってきたのよ」。五つの味があるチョコレート。「ものすごく楽しみにしてた」

 口の中が副作用の口内炎だらけで、おかゆしか食べられなかったくせに、チョコレートだなんて…。大いなる反則ですよ。

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