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「文化時報」コラム

㊿70年前のコラム

2023年9月25日

※文化時報2023年2月14日号の掲載記事です。

 「地域共生社会とは、赤の他人が葬式を出すことである」と奥田知志牧師は語った。7日に京都で行われた文化時報創刊100周年特別記念講演会でのことである。

 わが国の医療・介護は「家族ありき」の制度設計になっている。頼れる身寄りがいない人は例外扱いされる。

 ある単身高齢者が白内障の手術を受けることになった時「手術の日は付き添いが必要です」と言われ困惑したことがあると言っていた。要支援なので介護保険では通院介助が使えない。家族の手助けがないと医療にかかるにも苦労することになる。結局ボランティアの人が付き添ってくれることになったが、身寄りがいないと制度が使いづらくなるのは奇妙な話だ。

 100周年記念行事では他に報道写真展が6日間開催されていた。100年分の紙面から選ばれたパネルコーナーがあった。1954(昭和29)年の紙面に目が留まった。「食えそうな話」と題されたコラムには「まず寺を開放することだ―従来の葬式中心のやり方をあらためて寺にさまざまの文化施設、教養娯楽の会をつくることだ」と書かれてあった。なんのことはない「葬式仏教からの脱却」は70年前のコラムにも書かれてあったのだ。

 それでも現代において多くの人が持つ寺のイメージは「葬式、年忌法要」ではないだろうか? 寺側に「変わらねば」という意識があっても、多くの人が求めているのは「葬式仏教」なのかもしれない。

 しかし、その葬式も「喪家」という言葉に表されるように「家族が出すもの」という前提であろう。頼れる身寄りのいない人は医療・介護の制度が使いづらいように、葬式も出してもらいにくいのが現代の事情ではないだろうか?

 筆者の提案する「福祉仏教」は「葬式仏教をやめよ」と言っているのではない。葬式仏教を続けるためには「福祉仏教」に移行する必要があると提言している。赤の他人が緩やかなつながりの中で、家族同様に葬式を出す社会を実現していきたいと思っている。

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