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「文化時報」コラム

〈55〉痛みを取った先に

2024年1月24日

※文化時報2023年12月1日号の掲載記事です。

 緩和ケア、とは。死を間近に控えた人に、状況をお伝えし、つらい事実を受け入れられるようにサポートし、その上で、やっておきたいことを余すことなくやらせてあげて、死を穏やかに迎えさせてあげること―。と、このように書いてある教科書もあります。

傾聴ーいのちの叫び

 緩和ケアにおける疼痛(とうつう)コントロールの技術進歩は、本当に目覚ましいものです。私が看護師になった30年前は、痛みで七転八倒なさるがん末期の患者さんをしばしばお見かけしたものですが、今は、そんなことはありません。

 ところで、皆さんも感じていらっしゃるように、身体的苦痛の有無と、死への恐怖の度合いの間には相関関係があるようです。

 身体的苦痛が強いと、死がリアルになりより怖くなる。身体的苦痛が取り去られると、死の影が薄れ怖さも遠のく。そうすると、生きる希望が頭をもたげてきます。「家に帰りたい」「仕事に復帰したい」「もしかして治るんじゃないか」…。

 でもこれ、一見いいことのようですが、緩和ケアを教科書通りに実践しようとする者にとっては、少々困ったことなのです。だって、患者さんが状況を把握できていないし、受け入れていないし。それゆえ、残された時間を有効に使うことができなさそうだからです。「○○さん、ご自分の状況が分かってないみたいです」と慌て、このままではやらなきゃいけないこともやらずに逝かせてしまうと、焦るのです。

 でも、私、最近考えています。

 究極の緩和ケアとは、身体的苦痛をとことん消して死の影を追いやり、明るく前向きな気持ち(たとえそれが事実に即していなくても)を持てる状況にして、「家に帰るんだ」「仕事に復帰するんだ」「治ったのかもしれないよ」と言い続けながら、うっかり死なせてあげることなのではないか?と。

 しょせんこの世は、自分がつくっている仮想現実。お別れの一言もなく明日を信じたまま幕を閉じるのが、ご本人にとっては一番のハッピーエンドではないでしょうか。

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