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「文化時報」コラム

〈63〉AIの投げた「石」に

2024年7月28日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2024年5月10日号の掲載記事です。

 こんなニュースを目にしました。「AIで死者復活。〝パパ、ママ、会いに来たよ〟」。

傾聴ーいのちの叫び

 某国が開発したそのシステムでは、亡くなった人と画面越しに話をすることができるそうです。画面に映し出されるのは、AI(人工知能)が声色、話し方の癖、考え方のパターン、表情などを生前の動画から徹底的に学習して綿密につくりあげた、在りし日のままのその人の姿です。まるで生きているその人と話しているかのように、会話ができるのだとか。いやあ、いずれどこかが必ずやると思ってはいましたが、やはり某国でしたか。

 そのシステムについて、某国内では「冒瀆(ぼうとく)」派と「心の救済」派に意見が分かれ、論争になっているとも書いてありました。この類いのことはすんなり受け入れてお商売にするお国柄かと思っていたので、「冒瀆」と捉える人たちがいるとは、新鮮な驚きでした。

 さて、さっそく、常々〝 市井の声のサンプル〟としている愚弟にこの件を投げてみると、「冒瀆だ。決して侵してはいけない禁断の領域だ!」とえらい剣幕でご立腹。

 たしかに、違和感がないと言ったら嘘(うそ)になります。でも、そこまで断罪していいものかどうか、迷うところです。だって、生きているかのような姿に救われたと感じる人もいらっしゃるでしょうし、その姿に頼る時期というのもあるでしょうから。

 AIは、こんなふうに、私たちの既存の価値観に「石」を投げてきます。なりすまし論文、エア墓参り、オンライン法要、ロボ妻、そして永遠にいなくならない死者。AIによってこれまでにはなかったものがもたらされ、個々の価値観がより鮮明にあぶり出される時代になったのです。

 さあ、ここでわれわれ人類はどちらに歩を進めるのか、です。他者(自分と価値観の異なる者)をたたきつぶし排除するのか、手を広げ胸に抱えて抱合していくのか。

 私たちは今、真の多様性を手に入れることができるかどうかの「踏み絵」を、AIに突きつけられているような気がします。

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