2024年8月9日
※文化時報2024年5月28日号の掲載記事です。
年忌法要のご依頼があった。故人さまとはデイサービスご利用中からのお付き合いだった。「ちょうど命日が日曜日なのでその日にお願いします」とのことでお引き受けした。
直前になってご親族から「1年早くないですか?」と問い合わせがきた。亡くなったのが2019(令和元)年なので七回忌なら来年である。
筆者はこう答えた。「感染症の拡大でご親族が集まる機会が遠のいていたでしょう。集まれる時に勤めましょう」
きちんとお檀家の管理をされているお寺からすれば『なんとずさんな』と呆れられるかもしれない。ご依頼を受けた時に当方が気付くべきだったかもしれない。しかし、来年になれば家の事情が変わっている可能性もある。
――この法事は亡き人の本当の願いを改めて聞き、私たちを養育してくださった方への報恩感謝の意を表すところに大切な意味があります。(真宗大谷派大阪教区教化センター編『共に道を求めて―法事のこころ―』)
勤行の後、ご家族さんと少し思い出話をした。故人さまの人生最終章の介護や医療の事情はもちろん分かっている。だからこそ、ご家族からすれば「僧侶と一緒に看取(みと)った」という気持ちがあると思う。年忌法要の場でそれが大きな意味を持つようになってくる。
それが筆者の勧める「福祉仏教」である。
一般的なお檀家の管理は、誰がいつ亡くなり、どういう法名(戒名)を授けたか、という記録が主ではないかと思う。そして、誰々の年忌法要はいつですよ、というはがきを出すようなことだろう。
もちろん、それは大事なことだ。その記録に、故人さまはどんな医療や介護を受けていたかという内容も加われば、より素晴らしいと思うのだが。
個人情報の取り扱いに厳しいご時世なのでそんな簡単ではないだろう。でも、うかうかしていると、介護事業所や福祉施設がその記録をもって年忌法要の案内を出すようになるかもしれない。そんな予感はある。