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「文化時報」コラム

〈64〉かわいそうへの違和感

2024年8月14日

※文化時報2024年5月24日号の掲載記事です。

 細々と続けているオンラインサロンがあります。スピリチュアルケアに興味を持ってくださっている方々との、近況報告をしながらの語り場です。

傾聴ーいのちの叫び

 毎回、スピリチュアルケアに関連する話から全く関係ない話まで、話題は多岐に及ぶのですが、先日、ある方からこんな言葉が投げられました。「死んでしまった人を『かわいそうに』って言っているのを聞くと、どうしてだかモヤモヤするんです」

 ぽちゃんと石が落ちた水面のように波紋が広がり、参加者の皆さんから次々に言葉が出てきます。

 「主人が62歳で亡くなったとき、お葬式に来てくれた人たちから『若いのに、かわいそう』と言われました。そのたびに『いいえ。かわいそうじゃありません。一生懸命病気と闘って、やるだけやった結果です』って否定しました。かわいそうなんて言われて悔しかったんです」

 「私は『かわいそう』って言っちゃうと思います。でもそれは、死んだことがかわいそうなんではなくて、死に至るプロセスの苦しさに対する『かわいそう』なんです」

 「死んだ人をかわいそうに感じるって、生きている人の傲慢(ごうまん)なんじゃないかな。無意識のうちに生きている方が良いって思ってしまっているんだと思う」

 「かわいそうって言ってもいいと思うんです。でも、自分のどこからその『かわいそう』が出てきているのか。そこをとことん考えて気付いておくことが必要だと思う」

 「口癖っていうか、あいさつみたいに言っちゃってるのでは? 職場を出る時『お疲れさま~』って言うけど、本当にお疲れだって誰も思ってないでしょ。あれと同じで」

 「死にたいって言われると、反射的に止めちゃうことにもつながるなって感じました。生きている方がずっとかわいそうな人もいるはずなのに、とりあえず止めちゃう」

 ああだこうだと夜は更けましたが、もちろん答えは見つかりません。みなさんはこの〝かわいそう〟、どうお感じになるでしょうか。

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