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「文化時報」コラム

〈87〉結婚式を帰敬式に

2024年11月7日

※文化時報2024年9月3日号の掲載記事です。

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」が絶好調である。過去に一度も朝ドラを観たことがない筆者も、今は朝8時の放送を楽しみにしている。実在した女性裁判官をモデルにしたドラマで、「結婚とは何か」「家族とは何か」を鋭く問われている気がしてならない。

 結婚に際して「どちらの姓を名乗るか」と話し合いをしたカップルがどれだけいるのだろうか? 筆者もそうだが、夫の姓を名乗るのが「常識」となっており、わざわざ話し合うことなど想像すらしない人がまだまだ多いのだろう。いっそのこと結婚したら夫でも妻でもなく任意の姓を名乗る方がすっきりとするような気もする。

 もしそんな時代が来た時のことを想像してみた。二人で考えた姓を名乗るのだから信仰も話し合ってみたらいいだろう。実家の宗旨宗派に関係なく自由に選ぶのである。その信仰に基づき結婚式という場で「私たちの宗教」を表明する。

 そうなると「同じ信仰である必要があるのか?」 という問題に直面する。これから人生を共に歩んでいくのだから「私たちの宗教」を決めておいて悪くはないと思う。ついでに法名なども授かっておけばいい。結婚式が帰敬式(ききょうしき)(授戒会など)を兼ねるのは、葬儀式で授かるよりも意義は大きいだろう。

 そうなると、宗教者は結婚を見届ける立会人ということになる。以降は身近な相談者となって夫婦に寄り添うといいだろう。

 昭和の時代は神社で結婚式を挙げるカップルも多かった。現在はチャペルが流行だろうか。いずれにしても宗教施設を利用する人はまだまだ多いはず。それは専門ホールとなっても続いているだろう。

 葬儀も同じであるが、残念なのが演出の一部としか認識されていない場合が多いことである。社会の変化、価値観の変化は当たり前のこと。

 宗教者に求められることも変化すれど、人間が生きていく限り宗教は必要とされる。今問題なのは宗教者側が「家」にこだわり続けていることではないだろうか?

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