2024年9月10日 | 2024年9月10日更新
アンプティサッカー=用語解説=の日本代表、エンヒッキ・松茂良・ジアスさん(35、以下ヒッキさん)は、5歳の時にブラジルで交通事故に遭い、右足の大腿部(だいたいぶ)から下を失った。主に足や手を切断した人たちを対象にしたアンプティサッカーで活躍し、18歳でワールドカップのブラジル代表に選ばれた。来日したのは2008年。「自分と同じ境遇の人がいるはず」と、メンバーを集めてチームを結成した。現在は首都圏で活動するクラブチーム、F Cアウボラーダに所属しており、アンプティサッカーのパイオニアとして日本代表に欠かせない存在となっている。
アンプティサッカーは1980年代に米国のドン・ベネット氏が発案し、負傷兵のリハビリの一環として普及した。
競技は国際アンプティサッカー連盟(WAFF)が統括。国内には日本アンプティサッカー協会(JAFA)がある。
日本は2010年の第8回ワールドカップ・アルゼンチン大会に出場。その後は着実に競技人口が伸び、クラブチームは全国11チームを数えるまでになった。選手は学生や社会人など100人ほどが所属している。
専用の器具はなく、通常の歩行を補助する福祉用具「クラッチ」(松葉づえ)を使用。全力で走ってボールを追いかける。シンプルで気軽にできるスポーツだ。
埼玉県障害者交流センター(さいたま市浦和区)での取材当日、ヒッキさんはFCアウボラーダの選手15人ほどと練習していた。クラッチのカチャカチャした音とボールを蹴る音がコートに響き、スピードや気迫が伝わってきた。
ヒッキさんは1989年生まれ。ブラジル・サンパウロ州出身。ブラジル人の父と日系ブラジル人の母の間に生まれた。
5歳の時、信号待ちをしていたところに車が突っ込んできて、一命は取り留めたものの、右足を切除した。幼かったヒッキさんには、一体何が起きているのか分からなかったという。
両親の献身的なサポートがあり、健常者と同じようにできることは何でもやった。8歳からクラッチを使ってボールを蹴り始めたのもその一つ。いとこたちと夢中でボールを追いかけた。
10歳でアンプティサッカーの存在を知ったが、地元のサンパウロにはチームがなかった。チャンスを狙って13歳の時、リオデジャネイロで開催されたアンプティサッカーの大会に、仲間を集めて出場した。
結果は全敗だったが、ヒッキさんは新人賞を受賞。アンプティサッカーへの情熱が募った。地道な練習と努力の末、18歳の時に念願だったワールドカップにブラジル代表として出場した。
「子どもの時から健常者と同じようにサッカーをしてきたので、周りから見たら片足がないですが、スピード感やテクニックはさほど変わらないと感じています」
ブラジルはサッカーの国。全国民が熱狂する競技の中でも、ワールドカップの出場は快挙であり、ヒッキさんの確固たる自信にもつながった。
その一方、安全な日本で暮らしたいという夢もあった。沖縄のおじを頼って、何度か日本に滞在したこともあったが、言葉の壁に苦労していた。
2008年に東京での就職が決まり、来日。新生活が始まり、仕事とサッカーを両立するはずだった。
ところが、アンプティサッカーが日本になかったのだ。
「当時は、日本では知られていない競技だと分かって残念でした。ですが、日本人にも切断者はいるはずですし、やろうと思えばできるのではないかとも思いました」
どうにかして競技を続けようと、義足を作るために訪ねた会社でアンプティサッカーについて語り、試合の動画や自身のボールさばきを義肢装具士に見せた。
その義肢装具士から、他の切断者たちに声をかけてもらい、徐々に興味を持つ人が増えていった。5、6人で練習できるようになるまで1年ほどかかったが、集まった選手たちからの口コミや紹介で見学者が増えていった。
ネットやSNSで競技について発信。とにかく関心を持ってもらおうとした。
「僕は競技の紹介をしましたが、実際にアンプティサッカーを広めてくれたのは、仲間たち。僕にとって、選手は家族のような存在です。みんな明るくて常に前向き。互いを支え合い、チームとしていい雰囲気を感じます」
15年前、地球の裏側からはるばる1人でやってきた片足の青年は、アンプティサッカーの先駆者になった。
母国でもない国で、当初は流暢(りゅうちょう)に日本語を話せたわけでもなく、仕事にも慣れなかった。それでもサッカーで人生が好転したヒッキさんは、諦めなかった。
「僕は『やればできる』という言葉が好きです。そもそも片足がないのにサッカーができたのですから。本気で願っていたからブラジル代表になれて、日本語も話せるようになりました。これからも目標を達成できる姿を見てもらいたいです」
今では彼を慕う日本人の仲間が大勢いる。プライベートでは結婚し、安定した生活を送っている。
今後の目標は、日本代表がワールドカップで優勝すること。そして、パラリンピックでアンプティサッカーが正式種目として認められることだ。挑戦は続く。
【用語解説】アンプティサッカー
主に足や手を切断した障害のある人がプレーするサッカー。1980年代に米国で誕生し、国際的な競技として広まった。アンプティ(amputee)は「切断した人」という意味の英語。日本アンプティサッカー協会によると、国内では11のクラブチームで約100人の選手が活動している。