2024年7月21日
群馬県伊勢崎市のマジシャンSunさん(30)は先天性脳性麻痺を患っている。普段の生活では車いすに乗り、休日は地域の施設やイベント会場でトランプを使ったマジックを披露している。マジック歴は10年。エンターテインメント集団「からくりどーるWORLD MAGIC」の団員になり、パフォーマンスの質を向上させながら、麻痺がある手足を使って自分をどう表現していくのか試行錯誤している。
一般的なマジシャンだと、スピード感のある手さばきや巧みな話術をイメージする。だが、Sunさんのマジックは、麻痺がある手で行うため非常に手元がゆっくりだ。
従来のマジックとは異なる「ゆっくりなマジック」。見る人に新鮮さと不思議な感覚を与え、それがSunさんの魅力になっている。
活動日は仕事休みの土日祝日。依頼があれば地域の福祉施設や児童館、特別支援学校などに出かけ、パフォーマンスを披露する。特に子どもたちの反応は良く、気が付くと周囲に人だかりができているという。
マジックは10年前、リハビリの一環として独学で始めた。最初は広げたカードを集めたり、カードを切ったりと、トランプで必要な動作を徹底的に練習した。
元々トランプは好きでカードを集めていたが、マジックを始めてさらに興味が深まった。
しかし、短期間で練習したくらいでは、人前で披露する技術は身に付かない。「普通であれば2カ月でできることも、僕は4年かけてできるようになりました」とSunさん。いろいろなことに挑戦しつつ、挫折を味わったこともあった。
1994年生まれ。両親にとっては待望の長男だったが、間もなく脳性麻痺の診断が出た。壁にはって立ち上がり、足を引きずって移動するなど、幼い頃から独特な歩き方をしていた。成長するにつれ、足の手術を2回行った。
幼稚園から高校まで、健常者と同じ生活環境で過ごし、学校は普通学級に通っていた。勉強するのには問題なかったが、運動にはかなりの制限があり、周囲と自分を比べてしまっては人間関係で壁を作っていた。
自身で「暗黒期」というほど、長い期間いじめに遭い、何度も死を考えた。命の危機も感じたという残酷な経験は、今でも忘れない。
しかし、「ひどいことではあるけど、半分は仕方なかったとも思っている」という。周りに自分と同じような病気を持っている人がおらず、学校側にもほぼ事例がなかった。「同級生たちにとっても、大きなギャップがあったのだろう」と冷静に振り返る。
当時のSunさんは、同級生ができることは自分もやってみたいと、自転車に乗る練習をした。つえを使えばスケートボードができるかもと期待して、ボロボロになるまで特訓した。だが、難しくてかなわなかった。
「子どもの頃から一縷(いちる)の望みを捨てきれない自分がいて『できるかもしれない』と思っていたのですが、ときには諦めることも大事だと学びました」
高校卒業後、精神保健福祉士を目指し大学へ進学。だが、手足の不自由さで実習に臨むのは容易ではなく、方向転換した方がいいと考え、3年で退学した。市役所の非常勤職員として働き、後に正職員になった。
コロナ禍の間に転職し、現在はヘルスケアの企業でリモートワークをしながら経理や財務の仕事に従事している。一人暮らしをしており、近くにある実家を仕事場にして、車いすで通勤している。
Sunさんは3年前、マジシャンの業界を知りたいと、エンターテインメント集団「からくりどーるWORLD MAGIC」に弟子入りを志願した。
師匠は、テレビやイベントで活躍する団長のマジッククリエイター、からくりどーるさん。師匠という存在がいると思うだけで、心強いという。
「障害を抱えていると、一般的にはできないと思われることが『できる』に変えられたときの喜びが、とても大きいです。今ではお客さんから『どうなってるの?』と質問されるようになり、そんな自分を誇らしく思えます」
30年の歩みは、常に山あり谷ありだった。そんなSunさんの座右の銘は「死んでいる暇はない」。
「僕は『楽に死ねるには…』と考えていた時代が長くて、今も完全にないとは言い切れないのですが…」と、苦悶(くもん)の表情を浮かべながら言葉を選んだ。
「今、自分のことで頭がいっぱいな人や一日中起き上がれず苦しい人がいても、それがその方に必要な時間ではないかと思うのです。どんな生き方でもいいけど、今を生きれば意外に人は死ぬ暇がないと感じています」
自分と同じように障害を持って苦しい思いをしている人、今悩んでいる人たちに、そのことを伝えたいのだという。
何事にも人一倍時間がかかり、努力しても報われない現実も目の当たりにしてきた。「できない」を「できる」に変えてくれたトランプマジックは、Sunさんの命をつなぐ大切なカードだった。