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〈文化時報社説〉家族殺人 誰の問題か

2025年6月5日

※文化時報2025年3月7日号の掲載記事です。

 この痛ましい事件から、私たちは何を教訓にすべきなのだろうか。

 千葉県長生村で昨年7月に重い知的障害のある次男=当時(44)=を殺害したとして、父親(78)が殺人罪で起訴された。千葉地裁で2月17日に初公判、同21日に論告求刑公判が行われ、検察側は懲役5年を求刑。弁護側は事実関係を争わず、執行猶予付きの判決を求めて結審した。

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 報道などによれば、父親は母親(妻)、長男(2021年死去)、次男との4人暮らしで、長男にも障害があったという。元々は神奈川県小田原市に住んでいたが、「周囲に迷惑をかけたくない」と、事件の約1カ月前に長生村へ引っ越してきた。

 事件当日、父親は自宅で暴れた次男を押さえ付け、「自分か妻が倒れれば、面倒を見る人がいなくなる」と、テレビのアンテナコードで首を絞めて殺害した。いわゆる「親なきあと」への心配が、引き金を引いてしまった形である。

 こうした事件が起きると、往々にして行政などの責任を問う声が上がる。だが、事はそう単純ではない。

 次男はかつて神奈川県立の障害者施設を利用しており、施設側は20年以上にわたって本人や家族と関わっていた。県の検証チームが昨年12月にまとめた中間報告書には、さまざまな関係機関がSOSを受けていたことが記されている。

 例えば、2006(平成18)年には次男の首に絞められた痕が見つかり、父親は「本人が眠らない日が続き、ついやってしまった」と打ち明けた。その後も「そろそろ無理」「入所施設を探してほしい」との求めがあった。誰も気付かなかったわけではないのだ。

 足りなかったのは、障害のある人と家族に対する社会の関心や、温かいまなざしではなかったか。

 私たちが関心を持てる機会は増えている。障害の有無にかかわらず共に学ぶ「インクルーシブ教育」は導入が進み、「ごちゃまぜ」の共生社会が理想という考え方も広がってきた。ただ、いずれも大切ではあるものの、もっと根底の部分に立ち返る必要がある。

 誰もが生まれながらにして持っている幸せに生きる権利、すなわち人権を守るという視点である。

 お寺や教会、宗教者一人一人にできることがあるとするなら、障害福祉や「親なきあと」を人権問題として捉え直し、教えに照らして信徒に伝えることではないか。合わせて自らも想像力を働かせながら、信徒を見守ることではないか。

 事件は裁判員裁判で審理された。私たちと同じ市井の人々が、父親の罪を裁くことにも留意したい。判決は3月12日に言い渡される。

(※千葉地裁は3月12日、父親に対し、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した)

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