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管理型介護から脱却 寺院主体でデイサービス

2022年12月14日

※文化時報2022年6月17日号の掲載記事です。

 浄土真宗本願寺派善了寺(横浜市戸塚区)は、デイサービス事業所「還る家ともに」を宗教法人として運営する全国でも珍しい寺院だ。関わる人が同じ気持ちで向き合うという意味で「ともに」の言葉を冠し、1日約10人までの小規模事業を展開する。同じく「ともに」と名付けた講社(護持組織)の「善了寺ともに講」も設立。成田智信住職(53)は「一人一人の心に寄り添い、相互関係の中で培っていくことに意味がある」と話す。(山根陽一)

JR戸塚駅から徒歩10 分ほどにある「還る家ともに」
JR戸塚駅から徒歩10 分ほどにある「還る家ともに」

講社「ともに講」設立

 5月8日、善了寺本堂で「善了寺ともに講」の設立慶讃法要が営まれた。2020(令和2)年にできていたが、新型コロナウイルスの影響で設立記念式典を延期していた。

 本願寺派の講社は、第8代蓮如上人の時代に伸長した本山本願寺直属の組織で、現在も全国に200余り存在する。善了寺は「還る家ともに」の思想を講社にも取り入れ、参加者が本山本願寺と「ともに」つながり、苦悩の時代を生き抜くという決意を込めた。

 設立記念式典では、大谷光淳門主の代理として中尾史峰・本山本願寺執行が、設立承認書を授与した。その後の帰敬式=用語解説=では、門主の「お手代わり」を務める近松照俊顕証寺前住職が、15人の門徒に「おかみそり」を施した。

 中尾執行は「本山と門徒の連帯感を強調した『ともに講』の命名は素晴らしい。成田住職の尽力のたまもの」と語った。

利用者の内面につながる

 善了寺が手掛ける「還る家ともに」は、「誰もが還ってくる家」として、病と死へともに向き合う場所を目指す。門徒以外も利用可能だ。

 スタッフと利用者が自由に話し、互いを認め合うことが基本。正午からの食事と午後3時からのおやつ以外に決まったカリキュラムはない。

 成田住職は「認知症の人にも、その人なりの独特の内的世界がある。その世界とつながるには、相互関係を丹念に辛抱強く築いていくしかない」と指摘する。その上で「僧侶は傾聴する存在であり、寺院は生と死を考える場所。宗教ならではの懐の深さが心の機微に触れることを可能にする」と、寺院が福祉施設を運営する意義を語る。

 特別養護老人ホームで8年間勤務した経験があるという三根周(みねあまた)所長は「他の施設ではサービスがマニュアル化され、禁止事項が多いが、ここはそれが少ない。高齢者や認知症の人と向き合うには、話を否定せずに笑顔で聴き、うなずくことが一番」と、宗教法人による小規模事業の利点を話す。

成田住職(左)と三根所長
成田住職(左)と三根所長

みんな違ってみんないい

 成田住職が寺で福祉活動を始めようと考えたのは、龍谷大学時代の学友で現在は坊守を務める美砂さんとの出会いが契機。仏教徒でありながら社会福祉士を目指す美砂さんの姿勢に共感し、仏教と社会の接点を探っていた自身の思いが重なった。

 かつて祖父が入寺していた善了寺の住職に、都市開教の使命を受けて就任したのが1997(平成9)年。富山市に施設を構える看護師の惣万(そうまん)佳代子さんが提唱し、高齢者・障害者・幼児らを同じ施設で受け入れる「富山型デイサービス」に影響を受け、「みんな違ってみんないい」「一つ屋根の下、誰もがいきいき」というコンセプトで2005年、「還る家ともに」を開設した。

 成田住職は「さまざまな人々を受け止めるのは僧侶の務め。親鸞聖人や蓮如上人の時代からその責務を受け継いできたはず」と話す。

 近年は動画投稿サイト「ユーチューブ」に「善了寺ともに講」公式チャンネルを開設し、浄土真宗の教えとともに、僧侶が社会の中でどんな役割を担っていくべきかを提案している。

 「全国に7万以上の寺院があるが、その1割が1日10人の高齢者を受け入れたら、どれだけの人が助かるだろうか」。成田住職はそう話している。

【用語解説】帰敬式(ききょうしき=仏教全般)

 仏教に帰依し、入信する儀式。本尊と宗祖の前で、仏教の教えに従って生きることを誓う。

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