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⑧僧侶の創業物語で成長 社会福祉法人合掌苑

2023年2月24日

※文化時報2022年9月6日号の掲載記事です。

 特別養護老人ホームなど高齢者福祉事業を総合的に手掛ける社会福祉法人「合掌苑」(東京都町田市)は、職員約500人を擁し、売上高は25億円に達する。創業者は曹洞宗竜昌寺(東京都中野区)の僧侶、市原秀翁師(1922~2012)。後を継いだ2代目理事長の森一成氏は「成長の要因は『創業の物語』と『経営者の情熱』を大切にし、今日まで語り継いできたことにある」と話す。

合掌苑の代表的な施設で、介護付有料老人ホームなどがある「鶴の苑」
合掌苑の代表的な施設で、介護付有料老人ホームなどがある「鶴の苑」

 森氏は1990(平成2)年にプログラマーから転身して合掌苑に入職した。

 当時はまだ職員18人、売上高1億円ほどだったが、市原師を支え、93年には悲願だった特別養護老人ホームを設立。翌94年からは行政の要請もあり、高齢者住宅サービスセンター、通所療育施設、通所介護事業所、居宅介護支援事業所などを次々に開設した。さらに有料老人ホームを2カ所に設け、職員約600人を抱える法人に急成長した。

 だが、職員の離職に悩まされ、離職しては採用することを繰り返していた。そこで森氏が注目したのが、市原師の「創業の物語」だった。

ある戦争被災者の教訓

 元々は自動車整備工だった市原師は、太平洋戦争で最も無謀といわれたインパール作戦に自動車部隊兵として従軍した。戦地で右肩甲骨から胸にかけて銃弾を受け、大けがを負いながらも生還。復員後は故郷の岐阜・郡上八幡に戻り、自動車整備工場を経営して成功を収めた。

 だが、本当に価値ある生き方を求め、地元の曹洞宗北進寺の住職だった岡本碩翁師に弟子入り。住職を兼務していた竜昌寺での活動を命じられ、上京した。

合掌苑の母体「竜昌寺」
合掌苑の母体「竜昌寺」

 竜昌寺は1945(昭和20)年の東京大空襲で奇跡的に焼失を免れ、緊急救護所として多くの戦争被災者を受け入れていた。身寄りのないお年寄りたちが暮らしており、市原師は懸命にお世話した。

 だが51年、事件が起きる。

 かつて地方で新聞社を経営していた男性は、東京大空襲で自宅が全焼。妻を亡くし、一人息子も戦死して、竜昌寺で暮らしていた。そんな男性が「ご住職のお世話になって、ただ無為に生きるのは心苦しい」との遺書を残し、入水自殺してしまった。

 市原師も岡本師も衝撃を受けた。お寺で暮らすお年寄りたちは皆、安心して生活しているものと思い込んでいたからだ。何度も話し合いをした末、こんな結論を出した。

 「人は侵しがたい尊厳を持っている。善意で施しやお世話をするだけでは、心の負担になってしまう。権利として堂々と世話を受け、心から安心を得られるよう、公的な施設をつくらなければならない」

 募金などで資金を集め、52年に養老施設を建設。翌53年4月、東京都知事から第一種社会福祉事業の運営許可を受け、戦後第1号の東京都公認の老人ホーム「中野合掌苑」がスタートした。

ひたすら言い続ける

 森氏はこの「創業の物語」を基に、人材育成を進めることにした。参考にしたのが、「ザ・リッツ・カールトン」。ホテルも介護事業も接客を重んじるサービス業と考えたからだ。

 関係者が強調していたのが、「創業の物語」と「経営者の情熱」を語り継ぎ、本物の企業理念に育て上げること。それによって世界中の従業員の心を動かし、顧客から信頼を得るのだという。根っこを太くして大木を育て、花を咲かせるように。

 その話を聞いて、森氏は「思わず息をのんだ」。合掌苑には、創業の物語も経営者の情熱もそろっていたからだ。すぐに『合掌苑のフィロソフィーと歴史』という114㌻の冊子を作成。13 分の動画も作成し、職員たちと今日まで理念を共有している。

『合掌苑のフィロソフィーと歴史』の表紙
『合掌苑のフィロソフィーと歴史』の表紙

 共有の方法は徹底している。

 冊子には「『人は尊厳を持ち、権利として生きる』は、合掌苑の基本的な信念です」など
14項目の「合掌苑の基本」が書かれているが、それに関する質問を管理職が用意し、全職員に毎週、メールで送るのだ。そして申し送りのミーティングの際、職員にそれぞれの答えを発表させる。2010(平成22)年から続けてきた方法だという。

 森氏は「理念はマニュアルではなく、考える方向性を示したもの。一人一人に考えてもらわなければならない。それには質問することが一番」と、狙いを明かす。

 市原師は生前、口を開けば同じ話をしていた。そのため職員たちは「いつ聞いても同じだから」と聞く耳を持たなかった。

 これに対し、森氏はこうたしなめた。「あの方は、何十年も同じ話をしているのだぞ。あなたにそれができるのか」。同じことを続けられるのが経営者の情熱である、という信念から出た言葉だった。

終生を僧衣姿で仕事

 市原師は福祉施設や社会福祉法人はつくったものの、お寺を建てる余裕までなかった。合掌苑では特定の宗教を強要することがなく、施設でお経を唱えることはなかったが、ずっと僧衣姿で仕事を続けた。森氏は「最期まで僧侶として生きた方だった」と振り返る。

合掌苑の事業所や特別養護老人ホームなどが入る「金森」
合掌苑の事業所や特別養護老人ホームなどが入る「金森」

 森氏の印象に強く残っている出来事がある。

 あるとき、有料老人ホームに入居していた102歳の高齢者が入院した。請求書が病院から合掌苑に届き、市原師のところに持っていくと、財布からお金を出して「これで払ってくれ」と言う。それが、毎月のように続いた。

 「葬式の費用なども、全部市原師が出した。親戚でも何でもない入居者だったので、お金のない人の面倒を一生見たのだろう。宗教者であっても、なかなかできることではないと思う」。森氏はそう語った。

 「塚本優と考える お寺のポテンシャル」では、福祉業界や葬祭業界を長年にわたって取材する終活・葬送ジャーナリストの塚本優氏が、お寺の可能性に期待する業界の先進的な取り組みを紹介します。

 

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