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生きることば

お天気がよすぎる独りぼっち

2025年5月13日

お天気がよすぎる独りぼっち
――俳人、種田山頭火(1882~1940)

Words to live

 大正から昭和初期にかけて活躍した種田山頭火は、「自由律俳句」という新しい俳句の形式を生みだしました。

 今回の名言「お天気がよすぎる独りぼっち」も、山頭火の読んだ俳句の一つです。五七五のリズムを無視し、季語などもありません。それまでの俳句のルールを破り、自分の感じたことをそのまま表現する、それが「自由律俳句」です

 山頭火は57歳で亡くなるまでに、8万以上もの句を詠んだとされています。彼の作品をいくつかご紹介します。

・分け入っても分け入っても青い山

 山頭火の代表作です。国語の教科書などで目にした人も多いのではないでしょうか。

 山頭火は、44歳の時に出家し流浪の旅に出ます。9歳の時に自死した母を目にし、成人後の酒造業の失敗など不幸が続いた彼は、仏の道に進むことで苦しみから逃れようとしました。しかしお堂での修行を早々にやめ、孤独な遍路行を歩むことになります。

・まっすぐな道でさみしい

 山頭火は1926(大正15)年から39(昭和14)年までの13年間で、九州から東北まで広範囲を旅しました。行乞(ぎょうこつ)流転の旅は、僧侶として生きることを自ら選んだ山頭火にとってもつらいものだったのでしょう。特にこの句が詠まれたのは旅の初期であり、短い句から大きな孤独が伝わってきます。

・酔うてこほろぎと寝ていたよ

 山頭火は大の酒好きだったといいます。出家のきっかけとなったのも、酔っぱらって電車を止めてしまったことでした。線路に仁王立ちして大騒ぎを起こしたところを、たまたま現場に居合わせた知人によって、禅寺に連れて行かれたのです。そこで山頭火は大いに感じ入り、出家を目指します。しかし、酒とはついに決別することができませんでした。

・あるけばかっこう いそげばかっこう

 カッコウの鳴き声と共に楽しく旅をする様子が目に浮かびます。俗世での苦しみを抱えていた山頭火は、旅の中でようやく純粋な自分を見つけていったのです。

・お天気がよすぎる独りぼっち

 山頭火にとって、俳句は絶望も希望も素直に吐き出す手段だったのでしょう。自分の思いを形にすることで、逆に俗世のしがらみから解放されたのかもしれません。

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