2022年10月28日 | 2024年8月5日更新
※文化時報2022年1月14日号の掲載記事です。
新しい年を迎え心機一転、快調にスタートを切るぞ!と思いきや、またしても不穏な空気ですね。わが家にはテレビがありませんので見ることはないのですが、ほぼ一日中テレビをつけっ放しにしている母は早速影響を受けて、大いに動揺しています。
常々、「世の中に迷惑を掛けるから長生きはしたくない」と言っている母ですが、新型云々(うんぬん)にかかってあの世に行くのは嫌なのだそうです。「せっかく再開したのに、また行けなくなっちゃったわ」と、体操だ、お茶だ、琴だと忙しく参加している集まりを、またしても自粛し始めました。
生きていれば、風邪もひくし、病気にもなる。そもそも、私たちは生まれた時から死亡率100%です。最大の死因は、「今、生きていること」ですから。
どうせ限りのある時間なら、思う存分楽しんだ方がいいに決まっているのですが、限りある時間を続けるために楽しいことを片っ端から自粛しなければならないとは、いやはや。
まるで出口のないトンネルを走り続けているような日々も、3年目に入りました。これまではなんとか踏ん張ってきた心が、いよいよポッキリ折れそうになっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こんなときだからこそ、思いっきりシンプルに考えてみるのも手かもしれません。自分の目で見たものだけ。自分の手で触ったものだけ。ただただ、それだけを信じてみる。
便利に手に入る情報には、危険な落とし穴もあります。いつの間にか、見たことも触ったこともないものを、さまざまな人の間を渡り歩いてきた”情報”だけで、さも知っているような気持ちになってしまうのです。そして、その情報に、日々の生活や未来までも左右されてしまっているのです。
自分の目で見たものだけ。自分の手で触れたものだけ。ただそれだけを信じて粛々と過ごす。時に、私たちには、この思いきりの良いシンプルさが必要なのではないかと思えてなりません。