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「文化時報」コラム

⑪一生犯罪者として…

2022年11月6日

 ※文化時報2022年1月28日号の掲載記事です。

 ここ2、3日、ちょっと考えていたことがありまして。

 職業柄、社会的な失敗をしてしまったご経験のある方と関わらせていただくことがあります。法的な禊(みそぎ)を済まされて、社会復帰を目指している方々です。

傾聴ーいのちの叫び 

 傷付けてしまった相手もあり、迷惑を掛けてしまった相手もあり、そのことを深く胸に刻んでこれからの人生を律していかなければならない。お話をさせていただいていると、皆さんそれを骨身に染みて分かっていらっしゃることが伝わってきます。社会的な罪を犯した方々の社会復帰は、決して楽に許される道であってはならないのでしょう。 

 それでも、考えてしまったというのは、先日、ある方から、お知り合いから届いた一通の手紙についての話をお聞きしたからです。 

 その手紙には、「あなたと一緒に仕事をする気にはなれない」「一生犯罪者として生きていってほしい」「犯罪者のあなたが再び世の中に出るのはおかしい」と、厳しい言葉が並んでいたそうです。お二人の関係の深いところまでは分からず、私ごときが物申すところではないのですが、はてと思いましたのは「一生犯罪者として…」のくだりでした。 

 お釈迦様の弟子、アングリマーラさんのお話にあるように、人は真(まこと)に目覚め精進すれば生まれ変わることができる、と私は信じています。決して犯してしまった罪を忘れて、なかったことにしていいというのではありません。罪を背負って生涯、己を律していくのは、失敗をやらかした本人がすべきことで、周りがレッテルを貼ることではないのではないか…と思うのです。 

 そして、もう一つ。この方が一生犯罪者として生きていく限り、相手の方も一生被害者として生きていかなければならなくなってしまうのではないか…とも思いました。 

 いや、とても難しい問題です。安易に語ってはいけませんね。もっともっと、もっともっと考えます。

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