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「文化時報」コラム

〈120〉つながりから想う

2026年4月11日

※文化時報2026年2月24日号の掲載記事です。

 「サードプレイス」という言葉をよく耳にするようになりました。家庭(ファーストプレイス)でもなく職場や学校(セカンドプレイス)でもない第三の居場所のことだそうです。

 ハテ? 家庭や職場以外に自分の居場所はあるでしょうか?

 カフェ? 居酒屋? 図書館? それは一人になれる場所のことでしょうか?それとも、ゴルフ場やカルチャー教室のような同じ趣味の人が集まる場所のことでしょうか?

 もしかしてその「サードプレイス」が会員制交流サイト(SNS)になってしまっている人が増えているのかもしれません。私はそれ自体は悪いことだとは思いません。仕組みからすれば、家にいながら世界中の人と交流できるなんて素晴らしいことだと思います。でも、SNSに匿名で参加しているとしたら、自分の存在はどこへ行ってしまうのでしょうか?

 先日、北海道在住の男性僧侶が詐欺容疑で逮捕されというニュースが流れました。報道によりますと海外在住の日本人女性になりすまし現金をだましとったとされています。逮捕された男性僧侶は容疑を否認しているそうなので真偽のほどはまだ何も分かっていません。いわゆるロマンス詐欺と呼ばれる手口で、たまたま容疑者が僧侶ということで目に留まりました。報道されていない事件もたくさんありそうです。

 話は戻りますが、私は「サードプレイス」とは単なる場所のことではなく、つながりのことではないかと考えています。つながりを実感するために集まる場所が必要なんだと思います。家族や職場の人以外で関係している人、つまり友達は何人いるでしょうか? 友達だと思っていても、実は仕事の関係者であったり、どこかに上下関係があったりしないでしょうか?

 家族葬が大流行の昨今ですが、それはファーストプレイスしかなくなった人が増えたということかもしれません。そして「できるだけ安く簡単に」と望まれます。

 友達がお金を出し合って、火葬まで勤行と飲み会がひたすら続くような葬送があれば素敵だと思います。もしあればぜひご教示くださいませ。

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