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「文化時報」コラム

〈16〉ただ黙々と祈る

2022年12月22日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2022年4月8日号の掲載記事です。

 先日、ネットにこんなニュースが流れていました。

傾聴ーいのちの叫び

 ある神社の神主さんが、ロシアによるウクライナ侵攻に対して「こんな蛮行を許してはいけない」と奮起しました。なんらかの形で意思表示をしようと呼び掛けたところ、地元の知人らが「われもわれも」と賛同。皆で青と黄のウクライナカラーの折り鶴を作りました。

 「千羽出来上がったらウクライナ大使館に送ります!」と、SNSにアップしたところ、コメントが殺到しました。「折り鶴なんて意味がない」「ありがた迷惑」「もらった方が困る」。神主さんは、千羽鶴を届けることを断念した―という記事でした。

 たしかに、東日本大震災の被災地でも、千羽鶴を巡る問題があったそうなので、一概にああだこうだと言えないのは承知しております。物事にはすべからく陰陽があってバランスを取っていますから、陽気が高まればその分、おのずと陰気も強まるのでしょう。「自己満足」という恐ろしい落とし穴は、いつだって獲物を狙っているのですから、十分に気を付けなくてはいけません。

 でも、なんだか、またしてもモヤモヤしたのです。

 自分がもし、動いていないなら、動いている人をあれこれ言うのは控える。それでも言うべきと判断し物申すときには、建設的な代替案を提示する。基本的には、物事に反応して実際に動くことを究竟(くきょう)とするが、それを誇示するのは控える―。モヤモヤあるところに教訓あり、です。

 ぐだぐだと書きましたが、ひとつ間違いがないのは、一羽一羽に込められた平和を祈る気持ちでしょう。どんな状況でも、どんな時でも、どんな人でも、祈る気持ちに噓(うそ)はないはずです。そしてその祈りには、確かな力があります。 

 たとえ遠く離れていたとしても、祈られた人が祈ってもらっていることを知らないでいたとしても、良い方向に向かわせる力が、祈りにはあると信じています。いや、あると断言します。

 黙々と、ただ黙々と、祈ります。

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