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「文化時報」コラム

〈18〉家族にしかできない

2023年1月16日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2022年5月13日号の掲載記事です。

 先日、ご病気の女性を看病していらっしゃる家族皆さんのお話を、聴かせていただく機会がありました。

傾聴ーいのちの叫び

 会社員の夫、大学生の長女、高校生の長男。それぞれ別々に、じっくりお話をお聴きしました。その時、皆さんが共通しておっしゃることに気付きました。それは、「何をしたらいいか分からない」ということでした。

 女性は、訪問診療、訪問看護、訪問介護のサービスを駆使し、在宅で最期まで過ごす万全の体制に入っています。整頓されたベッドサイドと、身ぎれいなご様子を拝見するにつけ、そのシステムがとてもうまく回っていることが分かります。

 そんな中、「何もしてやれないんで。素人ですからね。何をしたらいいかわからないんですよ」(夫)。「もうあんまりおしゃべりもできないし。何もすることがないのが不安です」(長女)。「用事がないから。僕がいても仕方ないかなと思って自分の部屋にいることが多いです」(長男)―。

 いつのまにか、家族が、その輪の中からはじき出された気持ちになってしまわれていたようです。

 本来、これらのサービスは、家族の負担を減らすことを目的としています。さまざまな物理的な負担を肩代わりして、家族には、本来家族にしかできないことに専念していただきたいからです。

 では、家族にしかできないことって、何でしょうか?

 私は究極のところ、「同じ空間にいて、同じ空気を吸っていること」、それだけでいいと思っています。何かやることがなくても、話す言葉さえなくても、同じ空間にいて、同じ空気を吸って生きてきたのが家族ですから。それが「生活する」ということですから。着地するその瞬間まで、今までと同じように過ごすこと以上に何があるでしょう。

 それが、家族にしかできないことです。特別なことは、何もいらない。今ここに共にあることを、思う存分味わっていただきたいです。

 

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