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「文化時報」コラム

⑲覚悟が問われる現場

2023年1月27日

※文化時報2022年5月27日号の掲載記事です。

 少し前になりますが、在宅での看取(みと)りに関わっていた医師が、遺族に命を奪われるという痛ましい事件がありました。皆さま方のご記憶にも、残っていらっしゃるのではないかと思います。

傾聴ーいのちの叫び

 私ども大慈学苑も、訪問スピリチュアルケアとしてご自宅を訪問させていただくことが多くありますので、あの事件を機に「ケアギバーの安全をどう保つか」の議論になりました。

 会議では、「相手は医療とつながっている人限定にする」「地域の民生委員と協働する」「相手の背景を事前に事細かに調べ選別する」「多人数で訪問する」―などなど、さまざまな意見が出ましたが、どれもこれも、ケアギバーの安全を確実に確保できる手段ではありません。しかも、今まさに苦しんでいらっしゃる方のことは、悲しいかなまったく考えていない。己の保身ばかりが聞こえてきます。

 場が膠着(こうちゃく)しかけたその時、「安全対策をでき得る限り取るのは当然だけれども、いずれも完全ではない。この世に完璧なことなどないのですから。最後は、己の”覚悟”の問題ではないだろうか」との意見が、仲間の一人である僧侶からありました。ハッとする、仲間たち。 

 決して美談でごまかして、お茶を濁そうというのではありません。が、やはり最後は覚悟なのだなと、その言葉を聞いて私もすっと腹に落ちました。

 そもそも、この世に生きていくこと全てにおいて、最終的には己の覚悟が問われるのではないでしょうか。どんな政策も、福祉も、医療も、最終的にその人を助けることはできない。最後は、その人自身の問題なのです。

 会議が終わった後、一人の仲間が私のところへやって来ました。「己の覚悟という話。考えさせられました。やっぱり、宗教家は腹が据わっている。一般人では、なかなかそうは考えられないです。見習いたい」

 はたして宗教家全員が覚悟ができているのかは分かりませんが、こっそり誇らしく感じたことでした。

 

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