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「文化時報」コラム

㊶本音は二次会で

2023年6月20日 | 2023年6月23日更新

※文化時報2022年9月27日号の掲載記事です。

 先日、「僧侶のグリーフケア」という演題で講演してきた。お招きくださったのは、クリニックの院長。「第1回地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク 全国の集いin湘南ひらつか2022」という大会であった。「超高齢社会を生きるために医療者、介護者、市民が一緒になって知恵を出し合いましょう」と、全国から集まってきた。

 筆者は僧侶として参加し、福祉仏教の実践を披露してきた。そこに集まった人々は、問題意識を共有している。だから、共感を呼び自分たちも取り入れたいという医療者が出てくる。お招きくださった院長から最後にこんな質問が出た。

 「われわれからするとお坊さんは遠い存在なんです。話しかけても大丈夫なんでしょうか?」

 それに対して「お坊さんはシャイな人が多いので、最初はとっつきにくいかもしれません。でも、懲りずに話しかけてくださると良い知恵を持っています」と答えてきた。それで良かったのかどうか、不安は残っている。

 こういう大きな大会では決まって懇親会がある。3年ぶりに集まっての大会が開かれたのだ。再会を喜ぶ人がたくさんいた。「僧侶です」という顔でいるのは筆者だけなので珍しがられる。看護師に囲まれて気分良く飲食してきた。

 実はこういう場は、とても大事である。

 何年か前のこと、あまりにも話が弾んで「もう1軒」ということになり、僧侶1人が看護師数人を引き連れて二次会に席を移した。医師がいなくなったこともあったのだろう、看護師の「本音」がポロポロ出てきた。酒の席でないと出てこない話だ。

 筆者には看護師の「飲み友」が数人いる。福祉仏教の仕事仲間なので情報共有もする。しかし大事なのは、お互いの「気持ちのケア」だと思っている。コラムに何を書いているのだとお叱りを受けそうだが、あえて公表しておきたい。福祉仏教を実践するのにとても大事だと考えるからだ。

 ただし、看護師と僧侶の関係を超えてはいけないことは言うまでもない。安心して話せる存在が僧侶なのだから。

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