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「文化時報」コラム

〈42〉困り事も聞き難し

2023年7月1日 | 2024年10月2日更新

※文化時報2022年10月11日号の掲載記事です。

 「怒っている人は困っている人」と福祉の世界ではよく言われる。

 しかし、怒っている人を目の前にすると、やっぱり自分が困ってしまう。怒鳴られると気分は良くないし、萎縮してしまう。何とか説得しようと正論を並べても、会話がかみ合わない。そして、挙げ句の果てに口から出るのが「そんなに嫌なら出て行けばいいでしょう」である。

 仏教者には「対話が大事」という人が多い。ならば、福祉の現場に入って「対話」してみるといい。たいていの人は、自分が口先だけだったと思い知らされる。「本人が嫌がっていることですし」と対話を遮断し、相手を〝拒絶〟する。そして、安全なお寺に逃げ帰って「対話が大事」と説法する。

 福祉の現場において「聞く力」はとても大事だ。福祉従事者はヘトヘトになりながら、利用者の「困っている」に耳を傾けている。仏教者も一緒になって傾聴すると喜ばれるだろう。だが、残念なことに「話す」ことは熱心だが、「聞く」ことには消極的になるのが現実だろう。

 「人身受け難し、今已すでに受く。仏法聞き難し、今已に聞く」。三帰依文はこう始まる。浄土真宗の聞法会などで唱和されることが多いが、「聞き難し」は仏法だけではない。他者の「困った」も「聞き難し」なのである。

 筆者は福祉の現場で心掛けていることがある。「困っている人」と目の高さを合わせること。横に位置すること。そして、低い声でゆっくり話すこと。これだけでも、相手の反応は随分と変わる…はずなのだが、うまくいかないことの方が多い。

 「困っている人」は自分の気持ちが伝わらないので態度に出る。つえで殴りかかってきたり、唾を吐きかけたり。ある介護職員がこう教えてくれた。「私たちの仕事は、孤独におびえて冷たく固まってしまった心を、温かく包んで柔らかく解かすことなんですね」と。筆者は何かを教えようとして福祉現場に入るのではない。何かを教えられるために行っているような気がする。

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